震災から3回目の大晦日で想う。
「生活再建」はほど遠い厳冬」 ~ なかなか進まぬ復興。
2011.3.11の東日本大震災を堺にして
被災者に共通して言える事は人生の「希望が全て未定に」なったこと。
今日は、2013年の大晦日です。
なんだか、1年という時間が、歳を重ねるたびに早く感じるのは、自分だけなのでしょうか・・・・? 何かはしました。けど「何もしない」うちにこの1年が過ぎて行くような気がしてなりません。
この1年。被災者にとって、理不尽で不条理であり。
求不得苦(ぐふとくく) から逃れられない時が過ぎさった。
そういう感じがしています。
これは、「不安と焦り」が頭の脳の中を独占してるためでしょうか・・?
結果として、何だか「充実感」がないからなんでしょうか・・?
自分では、感じなくなってしまった「ストレス」なのかも知れません。
この前、村内のある仮設にいきました。
そしたら、「不安ばかりでお先真っ暗だけど、なんだかそれに慣れて来た。」という方がいました。
この仮設の方が言ってる事が、少し分かるような気がします。
僕は、最近、頭が変だと思う事があります。(元々、変なのですが)
ホントはこれではいけないのでしょうが・。人間の対応能力の一つなんでしょうか・・・?
「ストレス」自体に対して、脳が麻痺してる感じです。
この1年。被災地の光景はどのくらい復興の跡が残ったのでしょう。
残念ながら、4月上旬の「三陸鉄道の復旧工事」=(これは、災害復旧工事で復興工事ではありません。)だけは、吐出して進んでいますが、ほかはあまり進んでいません。
今もって、格差はありますが「生活再建」、「住宅の高台移転」などなど・・。
今もって、格差はありますが「生活再建」、「住宅の高台移転」などなど・・。
ほとんど進まなかったのが実態です。今もって、津波襲来地域は、かつてそこに人々の生活があった形跡は完全に消えています。
ノッペラとした大地は、地盤沈下したままで、春に雑草が生え、夏に花が咲き、秋に枯れて、冬に雪が積り
ノッペラとした大地は、地盤沈下したままで、春に雑草が生え、夏に花が咲き、秋に枯れて、冬に雪が積り
ます。今回で震災から3度目の正月を迎えます。
↓↓全体として、昨年の今頃と殆んど変化のない被災地です。
![イメージ 1]()
↓↓全体として、昨年の今頃と殆んど変化のない被災地です。
こうした、風景を毎日見ているとそれが「当たり前」のように感じ、まるで「麻痺性痴呆」にでもなったかのような錯覚に陥りがちになります。
この1年を考察すると・・。
色々な、事があり、色々な感情がこみ上げて来たり、消えたり・・・。その繰り返しでした。
恐らく、被災者は誰でも、同じような想いをしてのでしょうが・・・。
恐らく、被災者は誰でも、同じような想いをしてのでしょうが・・・。
至極、当たり前のことを書きます。
【311を堺に、被災者、及び避難者は「人生の全ての「予定が未定になった」ことです】
例えば、「普通の幸せ」を考えると・・。
➊「予定のある思考」
・自分の家族がみな幸せで、元気に健康で生きている中の思考。
・仕事がうまく進み、経済的にも豊かな思考。
・自分はしあわせなのかなあ・・・。と自覚しての思考
・いつも、希望を胸に「次はこうしよう」と心が踊ってる思考。
このような、思考とは180℃逆にベクトルが働く思考が被災地にはあります。
➋「未定の思考」
・「不安と焦り」のストレスの連続の中で、「身心の病気」で苦しんでる自分やそのような人がいる家庭の歪んだ思考。
・仕事がうまく行かず、経済的にも追い込まれてる危機感のある切羽詰まった思考。
・夢も希望もなく、全く「夢も希望」もなく「近い先の事も予定」が立てらないで、悩んでいる思考。
通常の場合、誰でも人は「自己の望みや予定」の世界で生きているはずです。
学校を卒業したら、結婚したら、定年を迎えたら…。「こうするぞという予定」という思考です。
将来を描き、予定を立て、日々を営んでいます。これは、上の➊の心理で、普通のことです。
さて、今日は震災から3回目の年越しです。
3.11の震災を堺にして・・・。きっと、被災者に共通して言える事は、簡単に言えば、「予定が未定に」なったことでしょう。
例で述べた、上の➋の思考に近い心理です。
まるで、そこに住んでいられない。難民と心理状態ではないでしょうか・・?
311大震災は、多くのそんな「予定」をぶち壊し、先の読めない「未定」の世界に放り込んでしまったと・・。
時間の経過と共になってその想いは膨らんで来てるように感じます。
津波被災地の仮設では、どんどん故郷を捨てて、転出が多くあります。
残された、仮設住宅の方は、増々「不安と焦り」を募らせるのです。
福島の被災者たちは、もっとひどい避難民です。

そして、その土地の価格は下落して・・。
震災前に、人が住んでいた土地はこれからどうなっていくのか・・?
計画はあっても、被災地によって格差がありますが、そのイメージはなかなかつかないのです。住宅は、高台移転になりますが・。これまた、進まないのが実状です。
「心が『難民』の状態なのです」と、以前仮設に行った取材の時に、田老町の仮設の方が話していました。
「自立したくとも、見つかる仕事は少なく。あっても、短期のアルバイト程度です。以前の店をやろうにも、どういう街になるのか分からないので、全く先が見えません。これからどう生きていっていいのか、誰もが心が定まらないのです」と・・。
漁師の人も、農業の人も、個人で商売していた人も、予定が建てられない中で生活しています。
僕は、辛うじて家も残り、今では一番海に近い家となりましたが、船も中古船で漁師復活した自分でさえ、異変のある海を肌で感じ、不安や焦りを感じます。そして、やはり、先が見えないのです。つまり、「来年以降の予定がたてられない」のです。
なんとかしなけば、なりません。
だから、僕なんかよりも、家も仕事もない人などの心の悩みは、大きいと思います。だから、再三、記事にしてるように、このように復興は遅れれば、例え、愛郷心はあっても、追い詰められて行きます。
別の居場所を見つけた方が早いと判断して、便利で仕事のある場所を求めて、被災地を出ていきます。これが、悪循環の連鎖を産んでいます。
宮古市よりも南の地域では、それが顕著にあらわれています。
僕は、3.11からずっとこうして、被災地の様子を書いていますが・・。
非常に「虚しさ」に襲われる時があります。
一体、この声は、どこまで届いてるのだろうか・・。間違いなく、知ってる人には届いていますが、この記事が、行政や国政まで届くはずもないと・・。
スーロモーな復興の様子を、福島を含めて見ています。だからなんでしょう。
この前、山田町に行った時に「あの崩壊した巨大な防波堤に」誰が書いたのか・・。こうスプレーペンキで書いてありました。
「ふるさと とわに。永遠に。」
「現在・過去・未来。いつも いつでも 故郷はここの海。だけど、オレは出ていく。 忘れない また来る日まで」と・・・。
きっと、被災地の故郷から転出する人が書いたのだろう・・。後髪を引っ張られる想いで書いたに違いないと・・。直感しました。
3.11東日本大震災から3度目の年の瀬です。
復旧復興はままならず、生活再建に遠い厳冬です。
被災者の「希望」の声に政治は応えないまま、また今年も過ぎていきます。
来年は馬年ー(みどし)
馬のように、自由に牧場を走る。優しい目をした馬のように、これまでのように優しい眼差しで被災地の応援を願いたいです。僕らも飛躍の年にしたいものです。
僅かな期待ですが、きっと、きっとと思いながら歳を越したいと思っています。
皆さん。どうぞ、良いお年をお迎えください。