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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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岩手選挙区を制した無所属の平野達男氏 ~ 県民・被災者が託したのは、「被災地の今は一刻の猶予もない」との切なる思い。

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29勝2敗。なんの数字かというと・・。
自民党が参院選1人区で赤いバラを付けられなかったのは、
沖縄」「岩手」だけなのです。

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沖縄は諦めて、岩手がカギを握ると、安倍総理や自民党幹部が、岩手選挙区に何度も入って来たのはその訳があるのです。
負けて、自民党県連会長の鈴木俊一氏(元総理の鈴木善幸氏の息子)は、県連会長を辞任しています。

「反中央に彩られる両県」の歴史を踏まえれば、興味深いモノがあります。

岩手選挙区を制した平野達男氏(元復興大臣、元民主党、今回は無所属で立候補)は、不思議な運を持つ政治家だと思うのです。
 
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例えば、民主党政権の時に、前大臣の松本 龍氏の暴言(岩手・宮城両県を訪問した際の言動が問題となり、2011年7月5日辞任)で、急きょ復興相の大役を担ったこともそうですが、選挙においてその感が強いのです。
今回を含めた3回の洗礼で、楽勝の前回を除く2度は大ピンチだったのをしのいでいるからです。

 初挑戦の12年前は「小泉旋風」の逆風が吹いた。小泉純一郎首相が2度来県して勢いづく自民候補を僅差で下しています。
当時は自由党の組織があったが、今回はない。今回も同様に人気絶頂の安倍晋三首相が2度応援に入る与党の波状攻撃をしのぎ切ったのです。

 選挙終盤、12年前との違いをこう話しています。
「前は言われたまま動くだけの選挙だった。しかし、今回はみんな手弁当で応援してくれる」と平野氏は語っていましたす。
自発的な応援が殆んどだったのです。
それだけ、「被災地復興のスピードをあげて欲しい」という願いが岩手の有権者にはあったことを物語っていると思うのです。
 
動員もなく、まばらな街頭で聞く声援、仮設住宅で交わす一人一人の手の温かさが身に染みる17日間ではなかったのかと、被災地の空気を感じるのです。
     
↓↓7月14日(日)
     田野畑村の和野仮設団地。 「被災者の皆さまの思いをしっかりと受け止めながら、復興を推進さ     せます。」と一人一人に説明。
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    ↓↓山田町内の仮設団地を訪問
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彼には民主党政権のイメージもあって、復興相としての評価は分かれました。
無所属になるいきさつも褒められたものではないのです。何しろ、民主党を離党して、直ぐに自民党に推薦要請したのですから・・。

僕も見苦しいしなあ、選挙に勝つための手段で政治理念など、この人にはないと思っていました。
彼に要請を受けた自民党はその時、既に別の候補者が決まっていたために拒否したのです。

無所属になった経緯は上記ように、褒められたものではないのですが・・。
彼には「元復興大臣という肩書き」
しか実績を訴えるしかなかったのかも知れません。
被災地を頻繁に遊説していましたし、内陸部でも同様の論点で訴えていました。
逆に、「復興第一」一本で押し通したからこそ、それが有権者の心に響いたのかも知れません。

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県民・被災者が託したのは、「被災地の今は一刻の猶予もない」との切なる思いだろうと思うのです。

彼は、当分無所属で活動すると昨日も明言していました。
それは、自民に対する「チェックができるから」という理由だと・。
 

どっちを向いても自民党の国会で、逆に一人の存在が光ればいいと思います。
仮設で握った手のぬくもりを忘れず、これから、選挙で訴えた「復興第一」で粉骨砕身してほしいのです。

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