【厳しい「漁師をなりわい」とした被災者の現実と苦悩】
震災前までは、みんな「笑顔」であり、みんな「漁師」という職業に誇りを人一倍持っていました。ー「長文失礼」
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これまで、僕はずっと、「被災の現状」を自分の使命と思って発信してきています。
でも、このような自分の現実を書くのは、愚痴を言ってるようだし、お金の事なので特に、惨めでとても嫌なことです。
また、同じ当事者でも微妙に温度差があり、なかなかこうした話題にみんな触れるのを避けます。
「不漁だなあ」、「漁がダメだなあ」とは言いますが、借金やその返済などになると、みんな暗い顔になりますし、触れたがりません。
震災前までは、みんな「漁師」という職業に誇りを人一倍持っていました。だから、余計、惨めになるのです。多分、このような「こころの内」は当事者でないと分からないことではあると思います。
けど、どのくらい人の気持が理解できるか、それはわかりません。
でも、その恥と惨めさを偲んで、書かせて頂きます。
不漁の中で、借金返済の不安と焦りが、僕の頭の中から消える事はなく、このストレスが大きくのしかかっています。
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先の記事で
【水中カメラマン「尾崎たまきさん」の写真展。【写真展「海と生きるー水俣から三陸へー」】
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63067951.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
水中カメラマン作家の「尾崎たまきさん」の願いは・。
一度は水銀の混ざった工場排水により死の海と化しながらも、たくましく命を繋いできた生きものたちが、確かにいまを生きています。海で生きる人たちも、この海を信じ、また海に船を走らせています。
ーー中略ーー
過酷な環境を乗り越えて漁師に復帰した水俣の漁師さんの姿が、三陸の漁師さんたちの希望の光となりますように。そして水俣から三陸へ、大切な想いが届きますように。そんな願いを込めた写真展です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ありがたいエール写真展ですが・・。
今のところ、全く北三陸の海には「光」が見えてきません。
【被災漁師の僕の今の想い】
水俣の不知火海(しらぬいかい)は長い時間がかかって、再生したのかもしれません。
「水俣の不知火海ように、本当に三陸の海が復活するのだろうか・・?」
僕はそう感じてるのが今の偽りのない本音です。
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東日本大震災三陸の場合、まだ3年3ヶ月しか経過していません。
僕は、自然というものが、一度壊れると再生するには長い長い時間がかかるものだと、思っています。
昭和8年の津波を体験した、亡くなった親父の言葉が思い出されます。
「地震、津波が来ると魚がいなくなり、海がダメになり10年は漁師だけでは食っていけなくなり、当時、ここらの漁師は山に入って、炭焼きをやっていきつないだもんだ・・。」
今、そのおやじの言葉が蘇り、頭に浮かんできます。
現実に今、漁に出て網を巻き上げて見ると、「東日本大震災以降」まだまだ、海は再生していないと断言でいます。
海にまだ震災の瓦礫は残っていますし、人には感じない余震が絶え間なく、今でも続いています。
たまに、体感地震があると、そのたびに「海底の泥や瓦礫体感地震があると、そのたびに「海底の泥や瓦礫の細かいモノ(例えば、とても厄介なのは、布団の綿が網の目にすべて巻き付いてきます。)が舞い上がり」、それを嫌って魚はどこか逃げてる感じをうけます。 網にも泥がついてきます。
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三陸の現在の海の様子は、震災から3年3ヶ月経過しかしていません。
しかも、地震研究者のWEBをみると、人には感じない余震が絶え間なく続いています。
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【余震3年で1万回、3・11以降 活発な状態、数年は続く】
【共同通信】 2014/03/10 19:41
気象庁は10日、東日本大震災からの3年間に、震度1以上の揺れを感じる余震が1万回を超えたと発表した。徐々に減ってはいるが、この1年も震災前10年間の平均回数の約3倍と活発な状態が続いた。担当者は「沿岸に近い領域を中心に少なくとも数年は活発な状態が続く」としており引き続き注意が必要だ。 気象庁によると、余震は発生後1年間で7996回、2年目が1583回、3年目は1023回で、計1万602回。 この1年間はマグニチュード(M)5以上の地震が56回あり、最大震度別では5強3回、5弱2回、4が27回だった。
http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031001002397.html
M9.0という途方もないエネルギ-の海底地震や大津波によって、海底地形は大きく変わり、潮の流れも、震災前とはまるで違います。
地球温暖化の影響もあるかもしれませんが、海水温も安定していません。
3.11東日本大震災では、宮城、岩手両県を中心に数多くの漁船が大破、流失した。9割以上の1万2000隻余りの漁船が船が流失したり、崩壊しました。青森~千葉まで含めれば、もっと多い数になります。
元々、高齢化していた漁業。この震災をきっかけに漁師を廃業した人は、30%を超えると言われています。
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僕のように「漁師継続を決断」して、船を再建して新たに漁具を揃えて「漁師復活」した人も多額の借金を抱えています。福島原発事故の風評被害で魚価格は低迷。
また、水産加工会社なども復活していない企業も多くあります、そのため、魚市場の競りで活況がないのです。価格がせり上がらないのです。
「漁師復活」したはいいが・・・。「なりわい」として成り立たない。ー そう悲観して岩手の僕が知ってるだけでも4人は自殺者がいるのです。
北岩手の場合、震災以降[良かった漁法や漁]は何もありません。
サンマ棒受け、サケ定置網、サケ延縄、底刺網、底カゴ漁、イカ釣り漁、イサダ漁、コウナゴ漁、磯建網漁
サッパ船を使う磯漁でも、ウニ、アワビなど資源が激減しています。
海藻類では、ワカメ、昆布など養殖も天然も価格は低迷しています。
そして、待ったなしの、漁船と漁具の借金返済が来る訳で、金策も3年目に入り、僕の場合、もう目処はありません。
今、懸命にやってる漁では返済の目処など立つはずもなく、黒字にするのがようやくです。
漁師復活に、ある程度資金投入し、ある程度の国庫助成を受けてるので5年間という条件があり、今度は止めるにやめられないののです。
アベノミクスによって、円安になり、漁師にとっていいことは何もありません。
例えば、A重油は震災前の約8割上昇して、106円にまで高騰、さらに、油で製造される網、ロープ、プラスチック資材は6割高騰しています。 餌にするサンマも不漁で2倍にまで高騰しています。非常に漁のコストが上がってるのです。
だから、下手な漁では赤字になります。 赤字を恐れて細かな計算をせざるえません。 まず、震災前では考えられなかったことです。
「漁師が船を出せない」とうのは、とても「自分の船をそのまま港に係留しておく事は、辛い、辛いことなんです」年間維持経費は同じにかかりますから・・。
これは、当事者でなけば分からないことかもしてませんが・・。
更に、2011年3月から、今年の秋は丁度4年目にあたります。
県内にあった、サケますふ化場が放流寸前に流失し、稚魚は全て死にました。
サケは殆どが、4年目に北の海から回帰してきます。これまでは、震災前に放流していたサケを捕っていた訳で、この秋から震災の影響が出てきます。年々、「サケの回帰率」は低迷していて、魚体も小さくなっています。
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岩手沿岸漁業の主要魚種であったサケが減少すれば、大型定置網、中型定置網(二共」)、磯建網、個人でのサケ延縄。は今年から間違いなく激減します。
既にこれを見越して、定置網を止める漁場もでています。結局は漁師を廃業する漁師が増えると思われます。 借金を抱えての失業です。
「本当に三陸の漁師に笑顔が戻って来るのはいつなのか・・・。」 いや、このまま自分が生きてるうちは海の再生出来ずに、このまま行くのか、もっと悪くなって行くのか・・? こればかりは誰にも分からないことです。
このように、北三陸の漁師の現実は、ホントに厳しい中にあり、ぎりぎりの所で何とか生きているのです。
三陸の海が再生しない限り、漁師経営の現実はホントに厳しい中にあるのです。
これは、自分だけではありません。
「漁師復活にかけた夢」諦めずに続ければいい時が来るのかも知れませんが・。
これまた、大自然のことで誰にも予測がつかないことです。
いつまでも生活が持ちこたえられないのです。
僕の場合、船再建や漁具に投資した借金返済は12月です。この2年は何とか借り入れた運転資金で返済してきました。 今年こそがその正念場です。
12月まで今のペースの漁では、返済金は溜まりません。 どうしたものか・・?
このお金の不安と焦りが、僕の頭の中から消える事はなく、このストレスが大きくのしかかっています。
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でも、僕はまだ家が残ったのでいい方なんです。仮設住宅にいる被災者は家も再建しなけばなりません。恐らく、もっと厳しい現実と対峙してると思います。
これが、漁師再起にかけた北岩手の漁師の現実なんです。
「北三陸の漁師としての誇りとプライド」を捨て、その恥と惨めさを偲んで書かきました。
辛く気持ちが自分でも滅入る文でした。
どうか、その気持を少しでも分かって欲しいと願っています。
震災前までは、みんな「笑顔」であり、みんな「漁師」という職業に誇りを人一倍持っていました。ー「長文失礼」
これまで、僕はずっと、「被災の現状」を自分の使命と思って発信してきています。
でも、このような自分の現実を書くのは、愚痴を言ってるようだし、お金の事なので特に、惨めでとても嫌なことです。
また、同じ当事者でも微妙に温度差があり、なかなかこうした話題にみんな触れるのを避けます。
「不漁だなあ」、「漁がダメだなあ」とは言いますが、借金やその返済などになると、みんな暗い顔になりますし、触れたがりません。
震災前までは、みんな「漁師」という職業に誇りを人一倍持っていました。だから、余計、惨めになるのです。多分、このような「こころの内」は当事者でないと分からないことではあると思います。
けど、どのくらい人の気持が理解できるか、それはわかりません。
でも、その恥と惨めさを偲んで、書かせて頂きます。
不漁の中で、借金返済の不安と焦りが、僕の頭の中から消える事はなく、このストレスが大きくのしかかっています。
先の記事で
【水中カメラマン「尾崎たまきさん」の写真展。【写真展「海と生きるー水俣から三陸へー」】
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63067951.html
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水中カメラマン作家の「尾崎たまきさん」の願いは・。
一度は水銀の混ざった工場排水により死の海と化しながらも、たくましく命を繋いできた生きものたちが、確かにいまを生きています。海で生きる人たちも、この海を信じ、また海に船を走らせています。
ーー中略ーー
過酷な環境を乗り越えて漁師に復帰した水俣の漁師さんの姿が、三陸の漁師さんたちの希望の光となりますように。そして水俣から三陸へ、大切な想いが届きますように。そんな願いを込めた写真展です。
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ありがたいエール写真展ですが・・。
今のところ、全く北三陸の海には「光」が見えてきません。
【被災漁師の僕の今の想い】
水俣の不知火海(しらぬいかい)は長い時間がかかって、再生したのかもしれません。
「水俣の不知火海ように、本当に三陸の海が復活するのだろうか・・?」
僕はそう感じてるのが今の偽りのない本音です。
東日本大震災三陸の場合、まだ3年3ヶ月しか経過していません。
僕は、自然というものが、一度壊れると再生するには長い長い時間がかかるものだと、思っています。
昭和8年の津波を体験した、亡くなった親父の言葉が思い出されます。
「地震、津波が来ると魚がいなくなり、海がダメになり10年は漁師だけでは食っていけなくなり、当時、ここらの漁師は山に入って、炭焼きをやっていきつないだもんだ・・。」
今、そのおやじの言葉が蘇り、頭に浮かんできます。
現実に今、漁に出て網を巻き上げて見ると、「東日本大震災以降」まだまだ、海は再生していないと断言でいます。
海にまだ震災の瓦礫は残っていますし、人には感じない余震が絶え間なく、今でも続いています。
たまに、体感地震があると、そのたびに「海底の泥や瓦礫体感地震があると、そのたびに「海底の泥や瓦礫の細かいモノ(例えば、とても厄介なのは、布団の綿が網の目にすべて巻き付いてきます。)が舞い上がり」、それを嫌って魚はどこか逃げてる感じをうけます。 網にも泥がついてきます。
三陸の現在の海の様子は、震災から3年3ヶ月経過しかしていません。
しかも、地震研究者のWEBをみると、人には感じない余震が絶え間なく続いています。
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【余震3年で1万回、3・11以降 活発な状態、数年は続く】
【共同通信】 2014/03/10 19:41
気象庁は10日、東日本大震災からの3年間に、震度1以上の揺れを感じる余震が1万回を超えたと発表した。徐々に減ってはいるが、この1年も震災前10年間の平均回数の約3倍と活発な状態が続いた。担当者は「沿岸に近い領域を中心に少なくとも数年は活発な状態が続く」としており引き続き注意が必要だ。 気象庁によると、余震は発生後1年間で7996回、2年目が1583回、3年目は1023回で、計1万602回。 この1年間はマグニチュード(M)5以上の地震が56回あり、最大震度別では5強3回、5弱2回、4が27回だった。
http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031001002397.html
M9.0という途方もないエネルギ-の海底地震や大津波によって、海底地形は大きく変わり、潮の流れも、震災前とはまるで違います。
地球温暖化の影響もあるかもしれませんが、海水温も安定していません。
3.11東日本大震災では、宮城、岩手両県を中心に数多くの漁船が大破、流失した。9割以上の1万2000隻余りの漁船が船が流失したり、崩壊しました。青森~千葉まで含めれば、もっと多い数になります。
元々、高齢化していた漁業。この震災をきっかけに漁師を廃業した人は、30%を超えると言われています。
僕のように「漁師継続を決断」して、船を再建して新たに漁具を揃えて「漁師復活」した人も多額の借金を抱えています。福島原発事故の風評被害で魚価格は低迷。
また、水産加工会社なども復活していない企業も多くあります、そのため、魚市場の競りで活況がないのです。価格がせり上がらないのです。
「漁師復活」したはいいが・・・。「なりわい」として成り立たない。ー そう悲観して岩手の僕が知ってるだけでも4人は自殺者がいるのです。
北岩手の場合、震災以降[良かった漁法や漁]は何もありません。
サンマ棒受け、サケ定置網、サケ延縄、底刺網、底カゴ漁、イカ釣り漁、イサダ漁、コウナゴ漁、磯建網漁
サッパ船を使う磯漁でも、ウニ、アワビなど資源が激減しています。
海藻類では、ワカメ、昆布など養殖も天然も価格は低迷しています。
そして、待ったなしの、漁船と漁具の借金返済が来る訳で、金策も3年目に入り、僕の場合、もう目処はありません。
今、懸命にやってる漁では返済の目処など立つはずもなく、黒字にするのがようやくです。
漁師復活に、ある程度資金投入し、ある程度の国庫助成を受けてるので5年間という条件があり、今度は止めるにやめられないののです。
アベノミクスによって、円安になり、漁師にとっていいことは何もありません。
だから、下手な漁では赤字になります。 赤字を恐れて細かな計算をせざるえません。 まず、震災前では考えられなかったことです。
「漁師が船を出せない」とうのは、とても「自分の船をそのまま港に係留しておく事は、辛い、辛いことなんです」年間維持経費は同じにかかりますから・・。
これは、当事者でなけば分からないことかもしてませんが・・。
更に、2011年3月から、今年の秋は丁度4年目にあたります。
県内にあった、サケますふ化場が放流寸前に流失し、稚魚は全て死にました。
サケは殆どが、4年目に北の海から回帰してきます。これまでは、震災前に放流していたサケを捕っていた訳で、この秋から震災の影響が出てきます。年々、「サケの回帰率」は低迷していて、魚体も小さくなっています。
岩手沿岸漁業の主要魚種であったサケが減少すれば、大型定置網、中型定置網(二共」)、磯建網、個人でのサケ延縄。は今年から間違いなく激減します。
既にこれを見越して、定置網を止める漁場もでています。結局は漁師を廃業する漁師が増えると思われます。 借金を抱えての失業です。
「本当に三陸の漁師に笑顔が戻って来るのはいつなのか・・・。」 いや、このまま自分が生きてるうちは海の再生出来ずに、このまま行くのか、もっと悪くなって行くのか・・? こればかりは誰にも分からないことです。
このように、北三陸の漁師の現実は、ホントに厳しい中にあり、ぎりぎりの所で何とか生きているのです。
三陸の海が再生しない限り、漁師経営の現実はホントに厳しい中にあるのです。
これは、自分だけではありません。
「漁師復活にかけた夢」諦めずに続ければいい時が来るのかも知れませんが・。
これまた、大自然のことで誰にも予測がつかないことです。
いつまでも生活が持ちこたえられないのです。
僕の場合、船再建や漁具に投資した借金返済は12月です。この2年は何とか借り入れた運転資金で返済してきました。 今年こそがその正念場です。
12月まで今のペースの漁では、返済金は溜まりません。 どうしたものか・・?
このお金の不安と焦りが、僕の頭の中から消える事はなく、このストレスが大きくのしかかっています。
でも、僕はまだ家が残ったのでいい方なんです。仮設住宅にいる被災者は家も再建しなけばなりません。恐らく、もっと厳しい現実と対峙してると思います。
これが、漁師再起にかけた北岩手の漁師の現実なんです。
「北三陸の漁師としての誇りとプライド」を捨て、その恥と惨めさを偲んで書かきました。
辛く気持ちが自分でも滅入る文でした。
どうか、その気持を少しでも分かって欲しいと願っています。