日本文化には、「三」を、一区切りにする風習が多くあります。
「三度めの正直」、「仏の顔も三度」、「石の上にも三年」、「三つごの魂百まで」などなど……。辞書を見ても、引用されている言葉は多の数字と比べても三は格段に多いのです。欠点のないことを「三身相応」というし、「三拍子そろう」も「三」なのは、この数字が長さが広がり、安定や調和を暗示しているからなのだと言われています。
さて、物事の区切りとして「三」があるなら、もっと復興が進んでいいはずと思ってしまうのも当然だと思うのです。
しかし、新たな復興は今、諸に就いた段階~と思うのです。
「三年に頬笑う」という言葉がありますが、被災地では笑うことが少ないのです。この意味は「めったに笑わない人」を形容する言葉であるそうです。
各マスコミは、安倍総理らが福島の被災地を訪れて住民と笑談し、海産物を笑顔で頬ばる様子をいっせいに報じました。
僕は、完全にパフォーマンスと感じました。
『三年を経て[片頬]で笑えるかどうか…。』
現地で出迎えた人達が見せた笑顔の裏側こそを、政治家はもっと深く洞察して感じとり、行動に移して欲しいと強く思った次第です。
三年目の追悼行事は終わり、四年目に入ります。
被災地にとって、3年目の追悼行事も「通過点」でしかないのです。また、厳しい月日が待っています。