Quantcast
Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3913

宮澤賢治の没後80年に思う。「自然と人・・。再び注目の「賢治」 」~ 賢治の作品の世界はどの作品も、残した言葉も、被災した人々の想いを、代弁してるようの感じます。

$
0
0
自然と人… 再び注目の「賢治」  没後80年。

311東日本
大震災の被災者の心を慰める「童話」や「

言葉」。

今年は宮澤賢治の没後80年です。
東北・岩手の地に根ざし、詩人や童話作家として活動を続けた宮沢賢治(1896~1933年)。
没後80年の今年、自然と人との関係を問うまなざしが東日本大震災後に注目されているのです。

彼が生まれた、岩手県花巻市の「宮澤賢治記念館」では、色々なイベントが開催されました。
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/dowamura/

イメージ 3


 「雨にも負けず」、「どんぐりと山猫」、「やまなし」、「よだかの星」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」などなど・。それは、どれも、「被災してどん底にいる」被災者の気持ちを、賢治の作品の世界はどの作品も、残した言葉も、被災した人々の想いを、代弁してるようの感じます。

 「冷害などにたびたび襲われた東北の地で、賢治は芸術活動に加えて農業にも携わり、自然との共存に取り組んでいたことが、震災後に一段と大きな意味を持った」と僕は、感じるのです。
 
311東日本大震災では
家族は無論、親戚や友人、知人など、命を一瞬に奪って行った311東日本大震災の津波。
 その、悲しみは癒える事はありません。また、残された人も「何故、あの時 逃げろと 初めに言えなかったのか・・。」などとと自分を責め続けています。

あの、猛スピードで襲った津波

イメージ 1

イメージ 2

生死を分けたのは、「紙一重」だったのです。
 
襲ってくる津波で山に登っても、津波は容赦なく人々を襲いました。
木の枝に捕まって助かった人。力途絶えて亡くなった人。たまたま、電柱に上がって助かった人。流される家の屋根まで上り助かった人もいれば、それでも、何度も襲う津波で屋根からも振り落とされてしまった人などなど、色々な底にはドラマがあったのです。
「助けてくれ~~!!」と、大声で叫んでもどうすることも出来なかった・・。そういう体験をしてる人も多くいて、あの声と光景は、一生忘れられないと思う。と言います。

命は平等なのに、「神も仏」もないとずっと思い続けています。

そして、生き残った人も、これまで何代もかけて、築いて来た財産、生業(なりわい)も仕事も、人との繋がりも失ったのです。 まさに、「丸裸にされた」のです。

あの、「大惨事」は生き残った全ての人に共通しているはずです。

そして、あれから2年9ヶ月以上経過しました。
 しかし、津波被災地はノッペラとした津波襲来した地域は、地盤沈下した大地がそのままです。
いくらか、工事は始まっていますが、全体的に見て、それを簡単に言えば、瓦礫が無くなったことが変わったくらいなんです。

そんな、一行に進まぬ「復興」を、被災者はいつも目にしています。
だから、「不安になります。」、「焦りを感じます。」
それが、あの日の色々な光景と重なりあって、それは、とても辛い想いになってしまうのです。

そんな時に、「宮澤賢治」の言葉。童話の世界が、そのストレスを幾らかでも癒してくれているのです。 子どもたちは、童話でそれを感じ、恐らく、なんとなく、「その時間は」。
心が平常に戻ると僕は信じます。

実は、宮沢賢治の実の弟の清六さんの、孫の「
宮沢 和樹(みやざわ かずき)」さんは、こう語っています。
イメージ 4


「雨ニモマケス」は、自分自身に向けた言葉です。理想を持ちながらも、そう生きる事ができなった。
偉人ではなく、悩みを抱えた人間が書いたもの・・。そういう視点で読んで欲しい。それこそ、真の価値が見えてきます。


つまり、被災者も理想を持ってはいます。でも、今、そう生きる事が出来ないのです。
人間としての多くのストレスを感じています。「先の不安や悩みを抱えてる」生身の人間なのです。だから、なおさら、この作品に共感するのだと思うのです。

「雨にも負けず」ー(作品は、漢字とカタカナです表記されています。)

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な身体を持ち

欲はなく決していか瞋イカらず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず

野原の松の林の蔭の
小さな萱葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり

西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい

【宮沢賢治のことば】

              世界全体が幸福にならないかぎりは、

              個人の幸福はありえない。


なんと、崇高な言葉でしょう。
彼は,心の奥底からそう思ったのを、メモにして残しあったのです。

ふと、昨日のクリスマス・イブの夜に

この賢治の言葉を思い出したので、投稿しました。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3913

Trending Articles