冬型の気圧配置で、昨日は強い北西の風が吹いていて、海は真っ白でした。
天気図を見ると今日は、だいぶその形が崩れて、風は止んでいます。
記事を書いたら、船を出して漁に出かけます。
今日は、晴れるでしょう。
さて、それではこれから漁に出かけてきます。
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さて、そういえば、今日からNHKの「小さな旅」の取材ロケが田野畑村に入り15日まで滞在します。
25分の全国版。3月3日の朝8時から放送されるそうです。
震災から、2年目ということで、3週連続で福島、宮城の被災地も放送される予定です。
僕にとっては「風化防止したい」という願いがあるので、嬉しい企画。それで、取材をOKしました。
詳しくは、またお知らせします。
天気図を見ると今日は、だいぶその形が崩れて、風は止んでいます。
記事を書いたら、船を出して漁に出かけます。
今日は、晴れるでしょう。
そして、どんな朝日を、どんな魚が・・・。見られるか・・?それだけは、少し楽しみです。
さて、昨日、こんな記事が、地元紙の「岩手日報」に掲載されていました。
「県内、秋サケ不漁が深刻 2年連続で1万トン割れ」
予想はしていましたが、震災から懸命に頑張って定置網が復旧したのに、サケは帰って来ませんでした。
これは、震災復興の足を引っ張ります。
前にも、この「サケ回帰」の問題を記事をアップしましたが・・。
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さて、昨日、こんな記事が、地元紙の「岩手日報」に掲載されていました。
「県内、秋サケ不漁が深刻 2年連続で1万トン割れ」
岩手日報 2013年2月3日
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今季の秋サケ漁がほぼ終了し、2年連続で漁獲量1万トンを割り込むことが確定的となった。県によると、1月20日時点で7542トンと、東日本大震災発生前10年間(2001~10年度)の最終実績平均の29%にとどまる。放流した稚魚の回帰数の減少が要因とみられるが、被災した定置網が約80%まで復旧する中での不漁は極めて深刻。本県主力の秋サケの水揚げ回復は水産復興の鍵を握っており、立て直しが急務となっている。
県の「12年度秋さけ漁獲速報」によると、県内魚市場の1月20日時点の水揚げは宮古1686トン(11年度同期比69%)、大船渡953トン(同122%)、久慈888トン(同85%)、普代852トン(同86%)、釜石838トン(同96%)など。震災前の10年度同期と比べると約15~60%と全域で落ち込んだ。
県内135カ統の定置網は大型を中心に復旧が進み稼働数は11年最盛期の79カ統(58%)が105カ統(77%)に増加。だが、全県漁獲量は11年度同期(7601トン)とほぼ同数で、震災前10年間の最終実績の平均(2万5409トン)の29%にとどまった。
予想はしていましたが、震災から懸命に頑張って定置網が復旧したのに、サケは帰って来ませんでした。
これは、震災復興の足を引っ張ります。
前にも、この「サケ回帰」の問題を記事をアップしましたが・・。
「セシューム問題の風評被害」に加えて、「鮭の孵化場の問題」があります。追い詰められる被災地漁師。 2013/2/1(金) 午前 8:36
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62058477.html

3.11の津波で被災したのは、沿岸地域です。だから、水産業に携わっている人が多くいます。
主要魚種である鮭。これは、三陸復興において、かなり深刻な問題なんです。
なかなか、漁業の事は分からないとおもいますので、再度知って頂きたく、書いて見ます。
まず、鮭の習性についてですが、
鮭は、川で産卵します。そして、自分の生まれた川匂いを覚えていて、海に戻り、北のオホーツク海からベーリング海へ進み、ベーリング海やアラスカ湾でエサを食べながら回遊し、約4年間かけて、約16000キロメートルを移動して、再び、自分の生まれた河川に帰って来て、産卵します。
とても、愛郷心のある魚であるのですね。
その習性を活かして、被災地の沿岸には、「鮭の放流事業」が1974年あたりから、行われ三陸沿岸の水産業を支えてきました。
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そのため、鮭のお陰で、三陸沿岸の水産業は成り立っていました。
上の図のように、1996年をピークに、約7万トン。250億円(浜値ベース)の水揚げがあったのです。
以降、地球温暖化の為と思われますが、減少の一途を辿っています。
そして、このシーズンは、ついに1万トンを割り込みました。金額もたった、50億円を割り込みました。
すると、こういう問題が起きてきます。
![イメージ 4]()
![イメージ 5]()
この間、どうやって持ちこたえるのか・・・?
主要魚種である鮭。これは、三陸復興において、かなり深刻な問題なんです。
なかなか、漁業の事は分からないとおもいますので、再度知って頂きたく、書いて見ます。
まず、鮭の習性についてですが、
鮭は、川で産卵します。そして、自分の生まれた川匂いを覚えていて、海に戻り、北のオホーツク海からベーリング海へ進み、ベーリング海やアラスカ湾でエサを食べながら回遊し、約4年間かけて、約16000キロメートルを移動して、再び、自分の生まれた河川に帰って来て、産卵します。
とても、愛郷心のある魚であるのですね。
その習性を活かして、被災地の沿岸には、「鮭の放流事業」が1974年あたりから、行われ三陸沿岸の水産業を支えてきました。
そのため、鮭のお陰で、三陸沿岸の水産業は成り立っていました。
上の図のように、1996年をピークに、約7万トン。250億円(浜値ベース)の水揚げがあったのです。
以降、地球温暖化の為と思われますが、減少の一途を辿っています。
そして、このシーズンは、ついに1万トンを割り込みました。金額もたった、50億円を割り込みました。
このように、岩手の被災地沿岸の場合、北海道に継ぐサケの生産拠点で、サケに依存しています。
これまで、ずっと本州でトップでした。
ところが、3.11の津波で
今、大きな問題が浮き彫りなってきています。
今、大きな問題が浮き彫りなってきています。
津波で海に近い施設の「サケの孵化場」(鮭の卵を採取して、稚魚まで育て、海にその川から海に放流します)が岩手、宮城でほぼ全滅しています。
稚魚放流は、4月上旬です。
稚魚放流は、4月上旬です。
つまり、3.11の2011年は放流寸前に津波で流失。放流出来なかった訳です。
この歳から、岩手、宮城の河川からこれまで鮭の放流はしていません。
↓↓津波で崩壊した、サケ孵化場(岩手県田野畑村明戸 2011、4,3日撮影)
四角の縦長の孵化場のカラになった生育の池です。
四角の縦長の孵化場のカラになった生育の池です。
すると、こういう問題が起きてきます。
例え、来年の孵化シーズン(11月~12月)に仮に全部の孵化場が復旧して、孵化して、放流したとしても・・。
サケが回帰してくるのは、4年後です。つまり、2011年から放流してない事になりますので、もう来年からその影響は出てきます。
サケが回帰してくるのは、4年後です。つまり、2011年から放流してない事になりますので、もう来年からその影響は出てきます。
そして、全く放流してない時期が3年。孵化場が復活してから、4年の間鮭は漁獲が出来ない事になります。
合計で7年間サケが全く来ない期間が生じます。
合計で7年間サケが全く来ない期間が生じます。
7年間も鮭が捕れないのでは、漁師も漁協も水産加工会社も冷凍庫業、運輸など関連した産業は、持たないのです。
「鮭孵化場の復旧工事」をやってるところもありますが、大きく地盤が沈下した地域では、まだ着手出来ずいるところもあります。すると、その復旧が遅れた分。鮭の回帰は遅れる事になります。
↓↓今現在、僕の近くの河川では、工事を盛んに行なっています。これは、早い方です。この間、どうやって持ちこたえるのか・・・?
対策として考えられるのは、北海道から「孵化した卵」を、行政が中心となり、買い受
ける方法しかないように想います。
しかし、北海道の鮭の漁獲量も減少してるので、難しいと思われます。
更に、サケが4年間育つオホーツク海など北の海の温暖化で、回帰率は震災前から悪化していました。20年前は、回帰率5%だったのが、最近では1%と程度まで落ちています。そのくらい、温暖化による、海の変化はあります。
7年は長すぎますし、かなり難しい問題です。
7年は長すぎますし、かなり難しい問題です。
被災地は、水産業が地域経済を引っ張って来た経緯があります。
この鮭の問題。とても、深刻な問題なのです・・。
この鮭の問題。とても、深刻な問題なのです・・。
さて、それではこれから漁に出かけてきます。
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お知らせ
さて、そういえば、今日からNHKの「小さな旅」の取材ロケが田野畑村に入り15日まで滞在します。
僕は、漁の後はそのロケの打ち合わせと案内があります。
今回の主人公は、僕ではなく「被災地の漁村の復興は・・?ー田野畑村」です。
僕もその一人として、カメラに収まりますがけど・・。
僕もその一人として、カメラに収まりますがけど・・。
25分の全国版。3月3日の朝8時から放送されるそうです。
震災から、2年目ということで、3週連続で福島、宮城の被災地も放送される予定です。
僕にとっては「風化防止したい」という願いがあるので、嬉しい企画。それで、取材をOKしました。
詳しくは、またお知らせします。