「東日本大震災から6年目」ー
【最後の一人までが穏やかに暮らせる「人間の復興」を最終目標として掲げたい。施行70年の憲法の精神が大きな意味を持つ】
【最後の一人までが穏やかに暮らせる「人間の復興」を最終目標として掲げたい。施行70年の憲法の精神が大きな意味を持つ】
昨日の3116年目の投稿にはたくさんのコメント、200を超えるシェア共有、ブログ記事の転載拡散、そして黙祷。ホントに感謝です。 これからもどうか、東日本大震災を忘れないで欲しいと願っています。 よろしくおねがいしたいのです。


【東日本大震災から6年目の「慰霊式」で献花 6年目にしておもったこと。】
昨日は、東日本大震災から6年目の3月11日。政府主催の「慰霊式」も行われましたが、
被災地沿岸市町村どこでも、サイレンがなり「黙祷」がささげらてました。
我が田野畑村でも同じように「慰霊式」が行われて、出席し、献花してきました。
始めに、津波の語り部として活躍し、奇跡的に助かった工藤房子さん(島越)の体験談などを交えてこの6年を振り返るスライドが上映されました。
ずっとこの式でBGMの演奏をしてくださっている、宮古市の美人3人の友のGrazia (グラッツィア)=(ピアノ、フルート、バイオリン)がきてくださいました。(僕の応援を兼ねて、昆布をたくさん買ってくださいました。)
式が終わって、家に帰りその報告をしようと、6年を振り返り、自分のこと、被災の事など色々と考えてるうちに時間がなくなりましたので、今その思いを記したいと思います。
昨日は、東日本大震災から6年目の3月11日。政府主催の「慰霊式」も行われましたが、
被災地沿岸市町村どこでも、サイレンがなり「黙祷」がささげらてました。
我が田野畑村でも同じように「慰霊式」が行われて、出席し、献花してきました。
始めに、津波の語り部として活躍し、奇跡的に助かった工藤房子さん(島越)の体験談などを交えてこの6年を振り返るスライドが上映されました。
ずっとこの式でBGMの演奏をしてくださっている、宮古市の美人3人の友のGrazia (グラッツィア)=(ピアノ、フルート、バイオリン)がきてくださいました。(僕の応援を兼ねて、昆布をたくさん買ってくださいました。)
式が終わって、家に帰りその報告をしようと、6年を振り返り、自分のこと、被災の事など色々と考えてるうちに時間がなくなりましたので、今その思いを記したいと思います。
【震災の年と次の年は、漁師にとっては再建のために時間が早く流れた。しかし、不漁となってからいままで時間が長く感じられます】
震災があり、その年はとにかく、海が職場の漁師である自分は「船と漁具」さえあれば、何とかなると思ったのです。みんな漁師は同じで、21万隻の船が無くなり、全国の造船所に「船建造」の注文が殺到し、「3年以上先になる」ということでした。そのため、中古で見つけての改造。漁具も新品を買い、古いものも修理したりして忙しい時でした。
震災があり、その年はとにかく、海が職場の漁師である自分は「船と漁具」さえあれば、何とかなると思ったのです。みんな漁師は同じで、21万隻の船が無くなり、全国の造船所に「船建造」の注文が殺到し、「3年以上先になる」ということでした。そのため、中古で見つけての改造。漁具も新品を買い、古いものも修理したりして忙しい時でした。
【「大震災6年からの課題」 まずは地域づくり 学び合いから結び合う コミュニティの形成がカギ】
岩手県全体で考えると、その頃は、避難所から仮設住宅に移った被災者なのです。
もう、震災直後から働く場所がなくなり「小学生など子供を持つ親の人、独身の若い人、お金のある人は自分で自宅再建し」多くの人がここでまず、転出しています。 仮設住宅が出来ても、早く出て転出して行く人もボチボチ出始めました。
だから、高齢者など弱者と言われる人は仮設に残ってしまう現実があったのです。
岩手県全体で考えると、その頃は、避難所から仮設住宅に移った被災者なのです。
もう、震災直後から働く場所がなくなり「小学生など子供を持つ親の人、独身の若い人、お金のある人は自分で自宅再建し」多くの人がここでまず、転出しています。 仮設住宅が出来ても、早く出て転出して行く人もボチボチ出始めました。
だから、高齢者など弱者と言われる人は仮設に残ってしまう現実があったのです。

【数値に表れる復興事業は着実に進んでいるように見える。しかし・・。】
東日本大震災から丸6年。大津波ですべてを流された街や村の再建は少しづつですが進んではいます。
岩手県では、それを数字で表すと、防潮堤は28%が完成し、72%が工事中。災害公営住宅は75%が完成。市町村の小中学校は88%が復旧。新規登録漁船は目標の97%を達成-。

数値に表れる復興事業は着実に進んでいるように見えます。
自宅を再建し、生活を取り戻したかに見える人もいます。
しかし、そこから遅れてしまう人々も確実にいるのです。
【新しい人とのコミュニティの形成を急ぐべき 「一緒の速度で歩いていけない人々をどう支えるか」】
「震災前の以前はそうした弱者を地域や家族が支えていた」コミュニティがあったのです。
地域のお年寄りが子どもたちを預かり、大人たちは安心して働くことができた。 隣近所では互いにいろんな「お裾分け」をするご近所の関係もあったのです。
しかし、震災はそうした人のつながりをばらばらにしてしまったとも言えます。
「一緒の速度で歩いていけない人々をどう支えるか」が、これからの大きな課題でしょう。
「震災前の以前はそうした弱者を地域や家族が支えていた」コミュニティがあったのです。
地域のお年寄りが子どもたちを預かり、大人たちは安心して働くことができた。 隣近所では互いにいろんな「お裾分け」をするご近所の関係もあったのです。
しかし、震災はそうした人のつながりをばらばらにしてしまったとも言えます。
「一緒の速度で歩いていけない人々をどう支えるか」が、これからの大きな課題でしょう。
【復興の在り方に関わる。復興とは何か。もう一度確認しておく必要がある】
「一人一人がちゃんと復興しなければ、復興したとはいえない」と達増知事はずっとブレずに語っています。全く同感です。
知事の心の根底には、震災発生から1カ月後に定めた「復興に向けた基本方針」があるからでしょう。
「一人一人がちゃんと復興しなければ、復興したとはいえない」と達増知事はずっとブレずに語っています。全く同感です。
知事の心の根底には、震災発生から1カ月後に定めた「復興に向けた基本方針」があるからでしょう。
僕の思う復興の基本を貫く原則とはやはり「被災者ファースト」なのです。
「被災者の人間らしい『暮らし』『仕事』『学び』を確保し、一人ひとりの幸福追求権を保障する」ことこそが基本だろうと思います。
「被災者の人間らしい『暮らし』『仕事』『学び』を確保し、一人ひとりの幸福追求権を保障する」ことこそが基本だろうと思います。

【東日本大震災の復興の現実は、もはや憲法違反 「幸福を追求権利」が完全に奪われている】
さて、憲法13条には 「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利」をうたっています。そして、この前段には「すべて国民は個人として尊重される」という条文があるのです。
これを、震災時で解釈すれば、すべてを失った被災者が自立できるまで支援していくことです。
「幸福を追求権利」が国民にはあります。この最低限の基盤となる衣食住は無論。生業(なりわい)でお金を稼ぐことを整えることが欠かせないのです。
ここが、国家、官僚、政府の中心に欠落していると感じます。
さて、憲法13条には 「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利」をうたっています。そして、この前段には「すべて国民は個人として尊重される」という条文があるのです。
これを、震災時で解釈すれば、すべてを失った被災者が自立できるまで支援していくことです。
「幸福を追求権利」が国民にはあります。この最低限の基盤となる衣食住は無論。生業(なりわい)でお金を稼ぐことを整えることが欠かせないのです。
ここが、国家、官僚、政府の中心に欠落していると感じます。
【国の「災害基本法」70年以上の戦後の混乱の中で法案化された法案が時代との乖離があり、復興のネックに】
そもそも、この復興は、未だに戦後のすぐの昭和22年に作られた「災害基本法」にもとづいて、全てがその根拠になったのです。
70年前のしかも戦後の混乱の中で法案化された「災害基本法」時代とそぐわないもので、阪神淡路大震災でも、これがネックになって「実態と即応しない」、「被災者ニーズとあっていない」と指摘されています。しかも、東日本大震災は千年に一度の大きな災害です。「災害基本法」はこの大きな災害を想定していないのです。
そもそも、この復興は、未だに戦後のすぐの昭和22年に作られた「災害基本法」にもとづいて、全てがその根拠になったのです。
70年前のしかも戦後の混乱の中で法案化された「災害基本法」時代とそぐわないもので、阪神淡路大震災でも、これがネックになって「実態と即応しない」、「被災者ニーズとあっていない」と指摘されています。しかも、東日本大震災は千年に一度の大きな災害です。「災害基本法」はこの大きな災害を想定していないのです。


【震災前よりもいい街にしなければ亡くなった人に申し訳ない」とおもってるのは被災者全ての人の願いであり使命でもあると皆が思ってる】のです。
「そのためにも、遅れがちな人々を見落とさず、背中を押して自立してもらわなければ」と強く思うのです。
最後の一人までが穏やかに暮らせる「人間の復興」を最終目標として掲げたい。施行70年の憲法の精神が大きな意味を持つ。