【深くて複雑な「福島第一原発事故」 「命」を第一に実行する政治を。】
何故、政府は避難民を放っておくのか・・?
情報を隠蔽しようとしたり、被災者に対して平等に支援を継続すべきだ。
福島を見ていると、復興に向かっているという感じは全くない。問題が次から次へと起きてくるという、印象ばかりが目立つ。
その象徴として挙げられるのは、異常に多い「震災関連死」だろう。
東日本大震災から3年を前にした今年3月10日現在の関連死は、岩手県439人、宮城県883人に対し福島県は1671人。
驚くのは「直接死」に対する関連死の数である。
岩手県と宮城は10分の1。一方で福島は1607人の直接死よりも関連死が上回る。関連死は現在、1700人を超えている。
政府はこうした人災に対して、何も対策を講じていない。答えは「ノー」。
まるで、「無政府」状態の様相である。
まるで、「無政府」状態の様相である。
元々、原発政策は政府自民党が「推進して来た政策」である。責任は東電ばかりではない。
事故が起きた以上、そのそしりを拭うのも政府自民党にあることを自覚してるのだろうか・・?今の動きを見ると、まるで逆の方向に政策は強引にすすんでいる。津波被災者に対しても冷たい対応が目立つ。
事故が起きた以上、そのそしりを拭うのも政府自民党にあることを自覚してるのだろうか・・?今の動きを見ると、まるで逆の方向に政策は強引にすすんでいる。津波被災者に対しても冷たい対応が目立つ。
あまり、機能していない「復興庁」と被災者の心を知らない官僚任せという「政治の感情」を感じない冷たい空気を感じる。
僕は、政治家に最も必要な人格はと言われれば。
「知識でもないし知恵でもない無論学歴などうでもいい」ことだ。最も必要な事は「国民に対する愛情」と「国民の生命」を尊重する政治家であると震災以降、強く思うようになった。
今の政治家に、「国民に対する愛情」や「311の被災者に対して愛情」、「命」を第一と持って本気で動いてる政治家は皆無に等しいと感じさせる事事態この国家は危ういと思う。
「震災関連死」で見る限り、岩手・宮城の被災者も我慢の限界に来ているが、とりわけ福島は悲惨な状況だ。
そのほとんどは、双葉郡の町村や南相馬市など東京電力福島第1原発周辺からの避難民。「避難生活に伴う心身の疲労」が命を奪っているのだ。
岩手・宮城と福島の避難者の決定的な違いは、まるで全く先が見えない暗闇であるし、放射能汚染によって故郷に戻ることを断念せざるを得なかったり、ためらう人が多いことだろう。
帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域といった避難指示区域からの避難者は約8万人。
▼福島の仮設住宅。
▼福島の仮設住宅。
絶望感の中で毎日を過ごす人が殆どなのだ。
こういうことを、本気で政治家は向き合っているのだろうか・・?
全てが、県任せ、被災自治体任せになっている。国家としての責任はどこに言ったのか・・・?怒りを覚える。
FBで聴いた話だが、大熊町から避難し、いわき市内の仮設住宅団地で自治会長を務める女性(65)は「お年寄りから『俺はここで終わるのかな』と言われる」と打ち明ける。 孤独死を出さないよう声を掛けたり、集会所での活動に誘うという。
更に、住民間のあつれきもあるようだ。同じ仮設暮らしでも、避難指示区域の住民には東電から月額10万円の慰謝料が支給され、避難先自治体の住民には支給されない。このようなこともあり、両者間に微妙な感情が生まれている。
こうした事は生活にもろに響く、何故、平等に出来ないのだろう。東電がそうなら、政府で手当しべきだ。
原発周辺被災者は複雑で深い問題を抱えている。しかも、将来の見通しは立たない。同じ被災地でも岩手県とは全く様相が異なる。
4月、一部で避難指示が解除された。今後、範囲が広げられていく。しかし、産業やコミュニティーが破壊された地域の再生は無理だろう。
安全への不安から帰還を望まない住民も多いし、問題はさらに複雑化するだろう。
福井地裁は、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを認める判決を下した。これには福島の事故の現状が色濃く反映されている。
事故からくみ取るべき教訓はまだまだ多くあるはすである。
政府には、避難住民の「不安な心」を少しでも取り除く事を、早急にやる責任がある。
福島のこの事実に向き合い、「被災者の生活再建への道筋」を付けない限り、国民の「脱原発運動」や他の原発立地自治体でも住民の潜在的な不安が消えることはないのである。
避難民に対して、「命」を第一に考えて「愛情」を持った政治が求められるが、これも絶望的なのか・・・。
虚しい国家になってしまったものであり、嘆かわしい。