【「あの日」を境にうまく泣けなくなった・・。】
3.11のその時。人口約1万5000人の大槌町では803人が死亡、479人が依然行方不明となっている。町役場も津波にのみ込まれ、全職員140人のうち約3割を失った。
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「あの日」を境にうまく泣けなくなった。再び巡ってきた3月11日、僕の昔からの公務員時代の友人の岩手県大槌町の総務部長兼総務課長平野公三さん(56)は、東日本大震災の巨大津波に直撃された旧町役場前で黙とうをささげていた。
震災後に就任した碇川豊町長が、当時の加藤宏暉町長ら死亡・行方不明となった職員40人の名前を一人一人読み上げ、哀悼の意を表した。
平野さんは「目の前で大勢の同僚が波にのまれた。それなのに涙が一滴も出なかった」と打ち明ける。人間の感情で対処できる範囲を超えていた。この日も涙は出なかった。普通の感情はもう戻らない、とも思う。
旧役場庁舎解体の是非をめぐっては、遺族や町民の間で意見が分かれていたが、碇川豊町長が昨年3月、正面玄関などを含む建物中央部分を、震災遺構として保存する方針を示していた。
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【岩手・大槌町旧役場の解体始まる 碇川町長、一部保存の方針】
河北新報 2014年04月11日金曜
3.11のその時。人口約1万5000人の大槌町では803人が死亡、479人が依然行方不明となっている。町役場も津波にのみ込まれ、全職員140人のうち約3割を失った。

「あの日」を境にうまく泣けなくなった。再び巡ってきた3月11日、僕の昔からの公務員時代の友人の岩手県大槌町の総務部長兼総務課長平野公三さん(56)は、東日本大震災の巨大津波に直撃された旧町役場前で黙とうをささげていた。
震災後に就任した碇川豊町長が、当時の加藤宏暉町長ら死亡・行方不明となった職員40人の名前を一人一人読み上げ、哀悼の意を表した。
平野さんは「目の前で大勢の同僚が波にのまれた。それなのに涙が一滴も出なかった」と打ち明ける。人間の感情で対処できる範囲を超えていた。この日も涙は出なかった。普通の感情はもう戻らない、とも思う。
旧役場庁舎解体の是非をめぐっては、遺族や町民の間で意見が分かれていたが、碇川豊町長が昨年3月、正面玄関などを含む建物中央部分を、震災遺構として保存する方針を示していた。
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【岩手・大槌町旧役場の解体始まる 碇川町長、一部保存の方針】
河北新報 2014年04月11日金曜
東日本災で大きな被害を受けた岩手県大槌町で、当時の町長や職員計40人が津波の犠牲になった旧役場庁舎の一部を解体する作業が10日、始まった。大震
旧役場庁舎解体の是非をめぐっては、遺族や町民の間で意見が分かれていたが、碇川豊町長が昨年3月、正面玄関などを含む建物中央部分を、震災遺構として保存する方針を示していた。
10日は、朝から周囲に高さ約3メートルの作業用の囲いを設置した。重機などを使って建物を取り壊すのは、5月以降になる見通しという。
現場を訪れた碇川町長は「建物を保存し津波の恐ろしさを伝えることは大切だ。一方で『見たくない』という人への配慮も真剣に考え、提案していきたい」と話した。
10日は、朝から周囲に高さ約3メートルの作業用の囲いを設置した。重機などを使って建物を取り壊すのは、5月以降になる見通しという。
現場を訪れた碇川町長は「建物を保存し津波の恐ろしさを伝えることは大切だ。一方で『見たくない』という人への配慮も真剣に考え、提案していきたい」と話した。