【震災遺構を考える】~「遺構の保存するという行政」、「もう見たくない」という被災者の気持ちも大事です。
陸前高田市の「奇跡の一本松」は、残念ながら死んでしまい、レプリカとして加工されて、元の場所に残って「復興のシンボル」とされ報道されています。
実は、あれにも「賛否、両論」ありました。
「絶対に見たくない」という人がいた事を知って欲しいのです。友人で涙を浮かべて「絶対に見たくない。何で死んだ松を残すか疑問だ」という方がいました。
僕は、「死んでしまったのなら。もう残す価値はない」と思った一人です。 なんか、現地の被災者の考えは他所にして、また生きているかもしれないとされた当時マスコミが騒ぎ立てて、「奇跡の一本松」は、結果として「死んでも生き残った」のです。松の立場になって考えれば、僕から見れば、「松が可哀想に見えてきます」。残酷に見えてきます。
僕は、「死んでしまったのなら。もう残す価値はない」と思った一人です。 なんか、現地の被災者の考えは他所にして、また生きているかもしれないとされた当時マスコミが騒ぎ立てて、「奇跡の一本松」は、結果として「死んでも生き残った」のです。松の立場になって考えれば、僕から見れば、「松が可哀想に見えてきます」。残酷に見えてきます。
また、各地に残る、「震災遺構」も、「もう見たくないし、復興が遅れる」という意見とは反対に、「忘れないために後世に残しておくべき」という意見に分かれています。僕はどちらも、賛成ですが・・。
まあ、役所は、最大公約数で決めるしかないでしょうね。
復興庁が、保存の初期費用を財政助成することに。
先日、被災した宮古市の「たろう観光ホテル」を保存するため、復興庁は市に2億1千万円を配分することを決めています。目に見える形で津波の猛威や教訓を刻む遺構は、将来の防災上、貴重な存在となると判断したのでしょう。
既に「学ぶ防災」ツアーの施設として活用されている同ホテルが果たす役割は大きいと役所では説明しています。
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とはいえ、遺構を残すことは現実的に難しい面があるのも事実です。
多くの犠牲者を出した釜石市の鵜住居地区防災センターは2日から解体が始まる。時間をかけて論議遺族の大半の声を受けて解体が決まったのですが、保存を求める声も考慮し、予定を1カ月半延期しての着手となったのです。
「保存か解体か」の判断は、遺族に対する配慮が重要な要素です。
尊い命を奪った津波を思い出させる建物がどんな感情を遺族に生じさせるかは想像に難くないのです。
一方で、財政面も大きな要因となる。破壊され、野ざらしとなっている建物に処置を施して残すには、毎年相当な費用を要するのです。
あの津波をかぶった建物などは、維持費がこの先自治体の財政を圧迫しないか・?心配も残ります。
かさ上げなど土地利用への影響も生じて、復興の妨げになるのも事実です。
このような状況の中で多くの遺構が、これまでに被災地から姿を消しました。
国が初期費用を復興交付金で支援する方針を示したのは、震災から2年8カ月経過した11月末に当たります。
今回の措置で、宮古市をはじめ保存を検討する自治体の思いがやっと実を結んだかたちです。
遺構としての保存が検討されながら断念した中には、遺族らの感情に対する配慮に加え、財政負担面で住民の反発を避けた面もあるように思います。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎が象徴的です。
二転三転した末、町長が9月に解体方針を表明。解体を求める遺族らが多いこと、費用の見通しが立たないことなどが理由でした。
宮城県知事は先ごろ沿岸首長を集めて会合を開き、南三陸町長に「(県が設ける)有識者会議が残すべきだと結論を出したら、話し合いのテーブルには着いてほしい」と解体見合わせを要請しました。
町長は会合後、「今ごろ方向性が示されたことに、じくじたる思いがある」と複雑な胸の内を明かしています。
国民共有としての遺構の価値を重く見るなら、初期費用に限らず継続的支援を図るべきです。また、この支援は「市町村ごとに1カ所だけが対象」となっています。
被災市町村も、「被災者の考えを、しっかりと聴いて、残すべきか否か」を決定して欲しいのです。
「財政支援が受けられる」という事を先に考えて実施しては、本末転倒です。
震災から1000日が経過して、「風化が懸念される中」ではあります。
でも、遺構の保存するという行政も、時間と共に、被災者の心は変化します。
でも、遺構の保存するという行政も、時間と共に、被災者の心は変化します。
「もう見たくない」という「被災者の気持ち」をあらためて考えなけばならないのではないのでしょう。