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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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終戦記念日で考えた事。平和を維持するための原点は、戦争体験者に こそあると思いました。

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昨日は、終戦記念日で思ったこと。

なんだか、お盆と重なっているのも、不思議な巡り合わせです。
戦没者を追悼し平和と不戦の誓いを新たにする八月十五日とされています。


戦争を知らない自分にとっては、戦争は想像するしかありません。

自分なりに、戦争について考えてみました。


家には、何冊もあった軍隊でのアルバム。
きっと、それは父の青春の時の、アルバムだったはずです。

自分の青春の時を戦争で奪われた父(愛蔵)の事。
 
イメージ 1
の父は、青春の全ての時を、戦争に駆り立てられて、辛うじて生きて帰還した男です。
18歳で、兵に入る前に行われた兵隊検査で・・。
名誉ある ?[ 甲種合格」というレッテルを貼られて、戦地に出兵して行った田舎の工兵隊の一人です。


 軍曹という地位になった漁師の兵士です。

僕が子どもの頃から、戦争の事を聴くと、少しは教えてくれました。
けれども、深い部分になると話すのをためらったような感じでした。

誰でも、嫌な過去は言いたくない、心の傷を広げたくなかったのだろうと、今になってようやく分かるようになった自分です。

その父は、工兵隊の通信兵でした。
だから、戦況の悪化で分かったのでしょう。
「日本は負けると・・。」


終戦の近い、昭和19年12月に母に宛てた、手紙もありました。
「この戦争で日本は負ける。食料が不足になるから、今、できるだけ畑をなるべく広く耕せ」と・・。
こんな、手紙を普通なら書けないはずです。
しかし、父は、「検閲する係でも、あったのです」

父は、似たような家族に宛てた内容のほかの兵士の手紙を、全て見ないことにして送ったと言っていました。
終戦間近に、散って行ったような特攻隊の方々には申し訳ないのですが、事実としてこのような、側面もあったようです。

このようなアルバムも手紙も、3.11の津波で全てなくなってしまいましたけどね。

僕は、子どもの時の記憶の中で・・。
こんな事がありました。
父が戦争で天皇陛下から賜った「勲章」が、家の物置に、無造作においてありました。
それを、僕と兄は、いいモンがあると思って兄とともにチャンバラゴッコでつけて遊んでいたのです。
でも、どこかの原っぱに落として無くしましたのです。

これは、オヤジから怒られと思った兄と僕はずっと、知らんぷりしていたのです。
兄も共犯者なので、あまり怖くはなかった記憶があります。

数日して、それがバレてしまいました。
 その時に、父は静かな声で「あんなもの、持っていても名誉でも何でもない。」と言って、僕を全く、叱らなかったのです。
今思えば・・・。きっと、それは「父の戦争に対するささやかな、抵抗であり、戦争は愚かな事だ」という思いがあったからなんでしょう。

 そんなことよりも、6人の子どもを抱え「戦後の今を生きる」事が大事だったのだと思うのです。
その頃は、漁師と炭焼、畑と蚕を生業としていました。
母と共に毎日毎日、働いていた背中を、忘れる事はできません。
その時の、父の手はグローブのように、分厚く大きかった事を覚えています。

晩年父は
「あの頃が、なんだかとても幸せだった。精一杯働き、汗を流し、生きてる事が幸せだった」と何度も言っていました。

 
そして、決して、しつこくはなかったのですが・・。
「戦争ほど馬鹿げたものはない、人が人を殺すことほど愚かな事はないんだ」

「平和であることが、何よりも人が人として生きることこそ大事なんだ」と、話していた事を思い出します。

父に姉がいました。軍に行くたびに
「愛蔵(父の名前)やい。 死ぬたもう事なかれ」と必ず言っていたと母から聴いています。
その姉は、父戦争に出てる間に病気で亡くなりました。
母から聞いた話ですが、父は戦争から帰ってきてから、その姉のお墓に何日も通ったと言っていました。
きっと、戦地でこの「死ぬたもう事なかれ」」という言葉を、何度も思い返して、生きて来たのだろうと思うのです。

最近の近隣国の様々な怪しげな動きで、アジア情勢は変化しています。領土問題では、一発触発の事態でもあります。 無論、別の要因もあるでしょう。
そのためと言って、今の日本は、右傾化しようとしてるように感じます。
例えば、
・「集団的自衛権行使」の憲法解釈の変更容認しようとしたり、
・自衛隊を国防軍にしようとしたり、
・徴兵制度も検討したり、
・改憲しようとしたり、しています。

つまり、右傾化しています。何故、日本がこのように変化しなけばならないのでしょう。
このような日本を近隣諸国、アジアではどうみてるのでしょうか・・?

僕が思うのは、その前に何故、「外交交渉」、「話し合い」の努力をしないのでしょうか・・?

深みに入ると、これもまた世論が分かれるところでしょう。

僕は思うのです。
 戦争をして良い事など何もないと。
心までも、人がヒトでなくなり、「殺人と暴力、破壊」です。まさに、「鬼畜」と化すのです。
残るのは、「悲しみ」と「怒り」そして「後悔」だけでしょう。

多くの戦没者は、それを望んでいないはずです。

歴史は繰り返すという言葉がありますが、「愚かさに後悔」した悪しき歴史は、繰り返さない知恵があるはずです。

「怒り」という感情から、全ての事において、良い事の発想は生まれません。

国家同士が、あるいは、人間同士が
「相互を尊重して」、「相互を理解して」、「相互を助け合う」

理想論ですが、そういうふうになればいいのにと、思うのです。


↓↓昨日、8月15日 韓国の議員たちが靖国神社に来て抗議したというから、日の丸を焼いたのかと思ったら、こういう布を掲げていた。この文言を読む限り、理性的な訴えです。理性的な声に対しては、こちらも理性的な対応をしなければいけない。 日本人はこの声に、どう応えるべきか。


昨日は、テレビで「色々な有識者」が登場して、討論していました。
僕が思ったのは、それぞれが「自分の研究してる知識」を言い合ってるようにしか聞こえませんでした。
「隣国の話」、「世界情勢」、「世界の軍事と日本の軍事」、「核の抑止力」などなどです。
あれは、知識のぶつけあいであって、戦争体験の無い人間の自己のアピールでしかない。
だから、あまり意味がない討論だと感じました。

「如何にして、世界を平和にするか・・?」という観点からの「智慧」が欠落してると感じました。
聞いてると、「如何にして、日本を守りか」だけなんです。それも大切かもしれませんが・・。

同じ人間同士です。武器の前に、「言葉」というツールがあります。
お互い、紳士的に理性的に、冷静になって考える手立て、つまり積極外交が必要と思います。

※確かに、それが全く通じない、北朝鮮のような国はありますが・。あれは、特殊です。別に考える必要はあるでしょう。


僕も、戦争は体験していません。だから偉いことはいえません。

でも、僕なりに今、思うのです。

「戦争体験者」は高齢化しています。
今こそその「生の声」を聞ける最後の時です。

「戦争という愚かさに後悔」した悪しき歴史は、繰り返えさない智慧が、必ず体験者にはあるはずです。

しかし、平和を維持するための原点は、戦争体験者に

こそあると思いました。


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