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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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3年目の春。ある50代の家族を亡くした男性の症例 ~ 被災地沿岸の田舎では 未だに「精神科」に対しての「偏見」が強いく、悪化してから病院に駆け込む。

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2年以上が経過して・・・・。
進まぬ復興に被災者の「不安」は溜まり続けているように思います。

これは、宮古市の友人から聴いた話です。
50代の彼は今、仮設住宅で一人暮らしです。
震災で妻と母親を失ったのです。

以前、宮古市の田老地区の仮設で写真を撮影して、飛ぶ込み取材をしてる時に知り合った人です。

東日本大震災の被災者が語る現状の声~2つの仮設住宅で「飛び込み聞き取り取材」.どんなニュースよりも、大事なことです。                2012/10/3(水) 午前 5:20


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田老町は「津波防災の町」として
世界から視察が来るほど、津波防災に力を入れて来たところです。
2重の防潮堤を築き、避難路も整備。「津波体験者の語り部」など、ハード、スフト面で津波防災を行なって来たところなんです。
しかし、3.11は想像をはるかに越える津波だったのです。街は壊滅しています。

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3.11大震災から1年以上が経過した昨年晩秋の頃のことです。
彼は、電話でボソボソと話しました。
僕が自分がPTSDである事を彼には、話していました。
今思えば、きっとそれを知っていて、電話したのだと思います。

ーー突然、深夜に強い不安感が遅い、あの3.11の津波の光景がまぶたに浮かび、息苦しさを感じて、電気をつけた。テレビや置物など目につくものすべてが、凶器のようにぐーっと目の前に迫り、頭の中が混乱して、どうすることも出来なかった。
 「気が狂いそうで。死んでしまうのではないか・・?」ーー
その事を今は冷静に話しています。
急いで仮設住宅の外に飛び出したと言います。発作は一週間も続き、彼は、以来、狭い仮設住宅に戻るのが怖くなったと語っていました。
僕の経験から言って
「PTSDのフラッシュバックではないか・・?」と直感しました。
自分も経験してるので、「すぐに、精神科の病院に行って見たほうがいい」と勧めました。
しかし、彼にとってはどうしても、「精神科」というものに抵抗感があり、敷居が高いように感じていたのです。でも、「そんなことを言ってる場合ではない」と強く進言しました。
しかし、被災地沿岸の田舎では
未だに「精神科」というものに対しての「偏見」が強いのです。
でも、眠れない日が続き、かなり、辛くて我慢出来なかったのでしょう。
渋々、親戚にも説得されて「精神科の敷居」を超えて、診察を受けたのです。

出された診断は
はやりPTSD「心的外傷ストレス後ショック障害」で、即入院しました。
彼は、今は退院して、通院しています。

原因は震災のストレスと、今後の不安だと、僕と同じように、フラッシュバックは治まっっていますが、やはり睡眠障害が残っていて、今も薬は手放せないのです

彼は、今も慣れない台所に立っています。みそ汁はインスタントで昼は菓子パンというパターン。
食べたいものがなくなったなあ。「母ちゃんがいてくれたらなあ…」という言葉を電話の向こうで、何度も話しています。
 寂しさ、悲しみを紛らわせようとしても、どうしても、心にブレーキがかかると言います。
未だに、「家族を失った」事実が罪悪感のようなモノが襲うと言っています。
今年に入って、仮設の集会所の集まりでカラオケを勧められたそうです。
でも・・・。「母ちゃんとおふくろを亡くしたのに、オレばり楽しんでいいのか」。罪悪感を覚え、マイクを握れなかった。と言います。
 寝床に入っても熟睡にはほど遠く、自殺が頭をよぎったこともあるとこぼしたりします。
震災後は、彼はまさに心身の健康を完全に失いました。狭心症、肝臓機能の改善、血栓防止…。そしてPTSD。
僕もそうですが、1日に身体に流しこむ薬は20錠は超えています。

この前、電話で趣味の水彩画を再開したいと思うときがある。好きだったカラオケの歌詞も覚え始めた。「今なら歌えるかもしれねぇ」。震災前の日常を取り戻そうと、モガイてるのが痛々しいのです。
僕が思うに、彼を苦しめてるのは、悲しみは乗り越えたように見えても、それが無くなることがない事。そして、「仕事がない」事の不安が、大きなストレスとなってると感じます。

 震災から2年以上経過して。大切な家族を亡くした被災者の傷は癒えない。生活環境や悩みも変化し、「心の問題」を訴える被災者が増えて来るだろうと僕の主治医も言っていました。
「阪神淡路の時と同じように、2年目以降から増えて来るだろう」と・・。

被災地に来て、今の姿を見れば、想像すればきっとわかると思います。
「復興の歩みが実感できない中、住居や仕事など将来への不安や迷いが大きなストレスとなっている」と・・。

 岩手県の精神保健センターでは、「浜の被災地の人は、我慢強い気質だと」指摘しています。
2年以上ずっと我慢を重ねてきた人たちが、「もうこれ以上は辛抱できない」と医療機関に駆け込むケースが相次いで来てるといい、「早めの診察」をPRしています。
悪化してからでは、回復に時間がかかり、PTSDとうつ病を併発すれば厄介だからです。

 最も目立つ症状は不眠なそうです。これは、一般社団法人「震災こころのケア・ネットワークみやぎ」が石巻市で運営する「からころステーション」によると、昨年4~6月に受けた相談内容では、不眠が48.6%を占めた。抑うつ状態が43.5%、不安・恐怖が39%で続いた。
 同市の精神科医宮城秀晃さん(59)のクリニックには、月に60人前後の初診患者が訪れる。震災前の倍の水準に増えてるそうです。

今、被災地では2年超えて 「自殺者の増加にもつながりかねない」という声が高まっています。
宮城・岩手の医師が懸念を強めているのは、顕在化しつつある復興格差の影響が多きいと分析しています。
住宅再建に踏みだす人がいる一方、「周囲から取り残される」と感じる人が増えているのです。
僕が思うに・・。
 格差が開くと悩みも一層深くなり、患者は増えると思います。

誰でもいいのです。「一人で抱え込まずに周囲に愚痴や思いを吐きだすことが大切」ではないでしょうか・・?

まだまだ先は長いのです。
これは、自分の経験から言いますが、
「一人で悩み、迷い、不安にならないように、本人が誰かに愚痴を吐き出す」べきし、周囲もその話を聴いいてあげる。それだけでも、随分とストレスは少なくなると思います。

そして、「辛い時は我慢しないで、割りきって、病院に行くべきです」強くこれは思います。
マザー・テレサがも言っています。
世界で一番恐ろしい病気は、孤独です。」と。

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