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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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「311アーカイブス(その2)」ー 【「東日本大震災」は足の骨折の手術のため入院中 16日帰って来て見た光景はまるで戦禍の跡のような衝撃でショックだった】

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「311アーカイブス(その2)」ー
【「東日本大震災」は足の骨折の手術のため入院中 16日帰って来て見た光景はまるで戦禍の跡のような衝撃でショックだった】
 私は、2011年3月11日は、かご漁で複雑骨折した、左足の最後の足の骨をチタンでボルトで止めて合ったものを外す為の最終的のような手術のために、3月8日に内陸の二戸病院に入院していたのです。
ケガをしたのは、2009年11月23日です。カゴ投入作業中に、ロープが足に絡んで危なく死ぬところでしたが、足が骨折したおかげで命が助かったのです。しかし、足のケガはロープが肉に入り混んで骨も砕けた複雑骨折でした。皮でつながってるような感じでした。最初の病院では若い医者いて、「切断」と言われたので、別の病院にすぐに移り、何とか緊急手術をしてもらい、切断は逃れたのです。
▼骨折したすぐの手術の後。
2009年11月26日) この後、6回の手術行った。
イメージ 1

▼骨折した足の最後のチタンのボルト外した後のあし。
イメージ 2


▼病院でみた岩手日報の紙面
イメージ 3

病院は、あたしく大きな県立二戸病院で免震構造。6階でしたが、揺れましたね。 大きな発電機があるためにテレビは見ることができました。 なので、酷い画像はテレビで見ていたのです。 アチコに携帯で電話しても、繋がらず・・。それでも、タイミングがよければインターネットだけ携帯で繋がったので、震災発生以降は、携帯でブログにアップ出来ていました。 そして、ホントはまだまだ入院が必要だったのですが、医者に事情を話し、外傷剤や薬をもらって22日の雪の中を自宅に22日に、警察の検問を「免許証」を見せて通過して、8時間もかけて帰ってきたのです。

下の記事は、自分の故郷を、初めて見た時の記事です。
コメント:71件、 転載1267件。のありがたいものでした。
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(再掲載)

三陸津波。村の凄い惨状。まるで、空襲された後だ。岩手県・田野畑村島越港は何も亡くなっていたし、ご遺体もあった。 見たショックで頭がおかしくなりそうだ。    2011/3/23(水) 午前 11:12 ケータイ投稿記事

 2011/3/23(水) 午前 11:12
https://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60441962.html

▼岩手県・田野畑村島越漁港付近
イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

ガソリンが内陸で持ってる人がいて、ゆづってもらい、手に入りました。 
なので、船のある港を見たいために、スペアタイヤを4本。スコップ、ノコとナタやタンカン丸棒などを積んで、道路を書きわけて、実家のあった、島越港まで何とか、行ってきました。
水道、電気、電話回線も全くダメです。
山の高台にこないと、携帯からでないと限られた文字数、画像の中でしか伝えられまません。
病院を退院して帰るのに、8時間かかりました。油がなくなるのでヒヤヒヤもの。
帰郷後も油を買えない。昨日ようやく入れました。この高台まで来て、アップしています。
凄い惨状。
人口3,900人の村で、死者、37名、行方不明者、47名。
瓦礫や道ばたに、遺体もまだあり、 知ってる人が殆どなので凄いショックを受けました。


ーー中略ーー

まるで原爆投下後の光景。戦禍の後のように感じます。
島越駅は高架橋で海抜26mの高架橋の上に駅があったのですが、その高架橋も倒壊流出して、ホントに何にもありません。
島越港は、先端部の堤防が殆ど転んでいて、港の原型を残していません。
港の中には転覆したままの船や瓦礫などが浮かんでいます。

僕の兄弟家族は4人。 沿岸部にあったので、家は全滅ですが、子供も無事で奇跡的です。 親戚のおじいさん同級生の女性、漁師の知人2名が不明です。
僕の家も奇跡。家は柱が折れて床上浸水の大規模半壊。 
海に近い周りは、家が全くありません。魚センター、第三セクターの大きなレストラン。ガソリンスタンドなど何もありません。
昨年、建てた倉庫は柱は折れています。トラック2台、冷凍庫3台、機械器具、電動工具類は全て無くなり、パー。
港に行ってみると。520PSの三菱ダイヤエンジンを入れ替えたばかりの「第八 みさご丸」、サッパ船など小舟の3隻とも、影も形も無し。 
家も舟も倉庫も車、漁具もすべてなくしました。僕は完全に漁師としては丸裸になったも同然です。
不漁に備えての内部留保はありますが、エンジンと倉庫の負債があり、この先のどうするか・? まだ何もわかりません。   
とりあえず、この家で住めるようにする為の作業をしないと・・。
軽トラックが、何とか動くので・・。 瓦礫の中から、薪ストーブを見つけてきました。薪を山に行って集めてきます。
あまりにも、あまりにも津波は酷すぎます・・。ホントにまるで、空襲されたような後ですね。
これまでのように、携帯からの発信ですが。ようやく電波が飛びました。
どうか、この画像を使ってください。 そして、拡散してくださいませんか?
このブログを見てる人が結講います。今日もアクセスが3万超えています。
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コメント:71件、 転載1267件。



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