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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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【画像を見るポイントは「今、すぐに津波が来るとしたら、あなたはどんな行動をとるのか?」だろう。朝日新聞の画像で考える】

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【画像を見るポイントは「今、すぐに津波が来るとしたら、あなたはどんな行動をとるのか?」だろう。朝日新聞の画像で考える】
 昭和8年3月3日の「三陸大津波」ー 父も母もこの津波を経験している。「1933年(昭和8年)3月3日の未明(午前2時30分)に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経145度7.0分)を震源として発生した地震。気象庁の推定による地震の規模はM8.1。震度は6程度。真夜中で皆が寝ていた、程なくして、誰かの男の声が寒村の浜で大きな声で「津波が来るぞ~~!! 早く山に逃げろ~~!!」が響き渡った。そこで、「着替えをしてひたすら雪山を上に上に必至で登った」と話していました。

▼昭和八年の津波の岩手日報社の報道。
イメージ 7


▼2011年3月11日 東日本大震災。 ものすごい速さと威力で東日本太平洋側を広く襲った。

イメージ 8

私は昭和八年の津波で、母方の婆さん。父の兄弟も4人無くしてるので、おばあさんもおじさんもまったく知らない
 このため、岩手県では、3月3日が「津波記念日」に指定されていて、東日本大震災前から、ずっと、三陸沿岸市町村ではどこでもこの日に「津波非難訓練」をこの日に実施していたのです。
 しかし、「東日本大震災」の津波はずっと大きく、スピードが速かった。その為、逃げ遅れた人が沢山いた。 
 この
昭和八年の津波に津波教訓の言葉津波てんでんこ(津波が来たら、家族でもかわずてんでんこになっても高いところに逃げろ)が生まれた。 
 しかし、
「東日本大震災」の津波の時の現実はそうもいかなかった。高齢者や障害者なども多かったからである。この教訓をどう活かせるか? あれから、7年経過して、そんな声すら聞かなくなった、昨今のマスメディアである。
 災害にはこうした「風化という落とし穴」があると、強く感じる。
 

【明治29年の海嘯は、東日本大震災の津波より震源が岩手県沖であり、ずっと大きな津波であった
 311「東日本大震災」。大きな地震と津波であった。地震は史上最高のM9.0 津波の高さは38.6mの記録が残っている。
 しかし、明治29年津波(1896年(明治29年)6月15日午後7時32分)は、45mを超えてる場所もある。 東日本大震災の津波より震源が岩手県沖であり、ずっと大きな海嘯であったのだ。
 江戸幕府から、明治になって29年しか経過しておらず、政府の予算は無かった。 そして、重機も何もない時代に、人々はそれでも復興した。相当長い時間をかけた苦労はいうまでもない。

これからの日本は、「東南海地震津波」や「都市直下型地震津波」など、いつ、どこに来てもおかしくない大地震と津波だ
記録写真を見て、津波の恐ろしさを、確認して欲しい。
見るポイントは
「今、すぐに津波が来るとしたら、あなたはどんな行動をとるのか?」だろう。
「自分の場所、家族は・・?どこをめがけて逃げるのか?などなど」 考えながら見て欲しい画像である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝日新聞が多数の画像を使って昭和八年と東日本大震災の画像を掲載した。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180220005584.html
昭和三陸地震と東日本大震災、記録写真が物語る苦闘】(全20の画像である)
うち、6枚を抜粋させていただく。

▼猛火に包まれる岩手県釜石町(現釜石市)=1933年3月、朝日新聞社機から
イメージ 1
▼2011年3月12日、宮城県気仙沼市、朝日新聞社機から
イメージ 2
▼岩手県釜石町(現釜石市)の市街地を焼き尽くす猛煙=1933年3月
イメージ 3
▼2011年3月11日、福島県いわき市、朝日新聞社ヘリから
イメージ 4
▼がれきの中で、家族を捜す人たち=1933年3月、宮城県唐桑村(現気仙沼市)
イメージ 5

▼2011年3月12日、岩手県陸前高田市
イメージ 6
以下省略、全部見たければ、⇩⇩⇩のリンクをポッチ。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180220005584.html

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