「原爆を考える」ー
【原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」 米写真家故ジョー・オダネルさんの被爆地記録】
この写真はあまりにも有名です。
「遺体の焼き場に立つ少年」自分の弟と思われる、その亡きがらを背負、歯を食いしばって直立不動で起立の姿勢で火葬にする順番を待つすがた。この時はまだ戦中である。「悲しみを出してはいけない」とこの少年は思って、まるで軍人のような直立不動の姿勢である。
【神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産】
掲載されている被爆地の写真で、著名な「焼き場に立つ少年」について、幼子を火葬にする少年の様子をオダネルさんはこう記す。
「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」
撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。
【原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」 米写真家故ジョー・オダネルさんの被爆地記録】
この写真はあまりにも有名です。
「遺体の焼き場に立つ少年」自分の弟と思われる、その亡きがらを背負、歯を食いしばって直立不動で起立の姿勢で火葬にする順番を待つすがた。この時はまだ戦中である。「悲しみを出してはいけない」とこの少年は思って、まるで軍人のような直立不動の姿勢である。
【神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産】
掲載されている被爆地の写真で、著名な「焼き場に立つ少年」について、幼子を火葬にする少年の様子をオダネルさんはこう記す。
「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」
撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。
余談になるが、戦争と災害は全く別のものだが、こうした写真を見ると、私は明日で6年5月の月命日となる東日本大震災の時の光景と重なるってしまう。
311では、遺体がゴロゴロあり曳き波で何もかもがなくなり、重たいような瓦礫だけが残っていた。
私は、戦争は経験していないが「まるで戦禍」のようだと思ったのだ。
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311では、遺体がゴロゴロあり曳き波で何もかもがなくなり、重たいような瓦礫だけが残っていた。
私は、戦争は経験していないが「まるで戦禍」のようだと思ったのだ。
【「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録】
朝日デジタル 2017年8月9日18時37分
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20170809003618.html
から引用:
以下、の画像はすべて、ジョー・オダネルさん撮影、坂井貴美子さん提供したものです。
▼焼き場に立つ少年。幼子の亡きがらを火葬にする順番を、歯を食いしばって待つ様子をとらえた(1945年8月、長崎)
![画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる、子供、屋外]()

▼上空から撮影した被爆後の広島。中央の建物は広島流川教会とみられる
![画像に含まれている可能性があるもの:屋外]()

▼被爆後の長崎の浦上天主堂。カルバリ(ゴルゴタ)の丘で十字架にかけられたキリストを思い出したという

▼長崎の小学校にて。教室の窓の外に、完全に破壊されたかつての校庭が広がっていた。

▼長崎の爆心地の外れで出会った子どもたち。リンゴをあげると、3人で分け合い、むさぼるように食べたという

▼ジョー・オダネルさん。背景に自ら撮影した写真が並ぶ=妻の坂井貴美子さん提供

【オダネルさんは「原爆正当化論が根強い米国」で批判に耐え1989年に「反核の思いから」と写真展を開いた】
オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。
オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。
【妻で米在住の坂井貴美子さんは、『忘れない』ということが大切と訴えている】
妻で米在住の坂井貴美子さん(56)が2年ほど前に出版社の打診を受け、オダネルさんの遺志を尊重して、応じた。坂井さんは取材に対し、「人間の存在の原点を、占領者としてではなく同じ人間としてカメラに収めている」と表現。そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ『忘れない』ということが大切と思う」。
A5判192ページ。いのちのことば社(03・5341・6920)刊。(宮崎園子)
妻で米在住の坂井貴美子さん(56)が2年ほど前に出版社の打診を受け、オダネルさんの遺志を尊重して、応じた。坂井さんは取材に対し、「人間の存在の原点を、占領者としてではなく同じ人間としてカメラに収めている」と表現。そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ『忘れない』ということが大切と思う」。
A5判192ページ。いのちのことば社(03・5341・6920)刊。(宮崎園子)
▼妻で著者の坂井貴美子さん。原爆のことを「忘れてはいけない」と感じるきっかけにしてほしいという=7日、東京都新宿区、宮崎園子撮影
