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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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連載「震災から7年目 教訓を活かせ」ー 【「釜石の奇跡」の子供たち 率先避難し、大人にも声がけした、何より逃げる姿が周囲動かす】

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連載「震災から7年目 教訓を活かせ」ー
【「釜石の奇跡」の子供たち 率先避難し、大人にも声がけした、何より逃げる姿が周囲動かす】
以前、何度か紹介していますが、津波において「高い所に逃げる」のが一番なんですが、これを普段から教育されて実践した子供たち全員が助かったー「釜石も奇跡」という話があります

▼津波襲来時瞬間の釜石市 港からドンドン津波が押し寄せています。
画像に含まれている可能性があるもの:屋外、水

▼子どもたちの促されて、地域住民も一緒に非難しています。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、テキスト

過去ブログ記事ーーーーーー
【「釜石の奇跡」世界の教訓に。政府と世銀発表へ 48年ぶりに日本で開かれる国際通貨基金(IMF)・世銀総会の関連イベント会合を通じて世界に発信、防災に活用してもらう】
2012/10/1(月) 午前 6:51 UP
https://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/61825530.html
三陸は、津波が何度も襲っています。
昔から、色々な教育がなされてきました。僕人身も、子供頃から親の話を聴いたり、学校でも必ず、年に2回は、「津波避難訓練」を繰り返してきました。
画像に含まれている可能性があるもの:立ってる(複数の人)
自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、屋外、自然


これは、三陸沿岸ではどこも同じような感じだと思います。
自動代替テキストはありません。 しかし、何故津波に流せれてしまったのか・・?
亡くなられた方には失礼ですが、「訓練ためのの訓練」と化して緊張感が薄れていたことにあります。やはり、意識の風化があったために、3.11のあの大きな地震の時でも、実際の時に行動をしなかった人が多くいます。しかし、その他の逃げる姿を見て、「よし! 自分も」と思い直して助かった命があるのです。
 三陸には、昔から『津波てんでんこ』っていう言葉は残されています。(これは、「津波の時は、家族や友人がバラバラにいたとしても、それぞれがバラバラでいいから、高い所に避難せよ」という意味です。)
まさに、「釜石市に奇跡」は、この言葉に象徵されてます。
釜石の人の数が多いために、有名な話になり漫画映画化もされています。 海外でのもそのDVDは津波防災教育に使われているそうです。
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『わがこと 自分の命は自分でまもり、 人も助ける』
 言葉通りの行動を取って助かった命がある一方で、救いきれない命も実際にはあった。それらの教えに込められたメッセージを河北新報にありましたので紹介します。
【少しでも早く、高くが津波避難の鉄則だ。震災でも、それを実行できたか否かが生死を分けた】
 気仙沼市波路上地区の無職佐藤公典さん(72)と妻(72)が本震後、外出先から車で帰宅したのは午後3時前だった。道路を見ると、近くの気仙沼向洋高の生徒の行列が見えた。
 海とは逆方向に歩いていく。「みんな避難するのか。なら逃げよう」。10分後、妻と高校生の後を追った。
 同校は海から約500メートルの場所にある。部活動などで残っていた1、2年生の約170人は揺れが収まるとすぐに、約300メートル離れた地福寺への避難を始めた。教員は半分が付き添い、半分が校舎上階に残った。
 寺には5分ほどで着いた。大津波警報が出たことを知った。念のためJR気仙沼線の陸前階上駅に移動した。両側に民家が並ぶ通りをぞろぞろと高台に向かって歩く生徒たち。教諭の片岡剛さん(36)は最後尾を進んだ。
 片岡さんと同僚は、落ちた瓦の片付けなどをしている住民に「避難しましょう」と声を掛けた。反応が鈍かったため、先を急いだ。
 駅前の広場に到着し、腰を下ろした時だった。住民の男性の怒声が響いた。「何やってんだ。そこまで津波来てんだぞ」
 片岡さんが国道45号の様子を見に行くと、南側を津波が横切るのが見えた。「急げ!」。生徒の一群が一斉に駆けだした。国道45号を渡り、3階建ての階上中を目指した。

【津波3原則で「率先避難者たれ」 『津波に一番詳しいのは中学生』との理解が浸透し、信頼されていたため。周囲の人に避難を促した】
 気付いた人から真っ先に逃げる「率先避難」の有効性が震災後、注目を集めている。 実践した釜石市の小中学生はほぼ全員が助かった上、「津波が来るぞ」「逃げるぞ」と叫びながら逃げる姿が、周囲の人に避難を促したからだ。
 気仙沼向洋高は、素早い動きだしで、生徒の命を守った。その半面、整然と歩いて逃げたこともあって、佐藤夫妻のように釣られて逃げた人はほとんどいなかった。
 地域の住民は避難の意識が希薄だった。「生徒の姿を見ても何も思わなかった」。津波が来たのを見て高台に避難したり、建物の2階に駆け上がったりして難を逃れた住民は、口をそろえる。
 率先避難は大騒ぎするほど、群集心理に働きかける効果が高い。教員と生徒の避難誘発効果は限定的だった。
 生徒たちが最初に避難した地福寺は1896年の明治三陸大津波で被害がなかった。地域では「寺まで逃げれば一安心」と信じられていた。特に寺の西側は津波被害を受けたことがない。
 津波の第1波は午後3時20分すぎ、地域を襲った。気仙沼向洋高の4階に達するほどの大津波が押し寄せ、地福寺は本堂の壁が突き破られた。生徒が避難に使った道路の周辺では、30人以上が犠牲になった。

【誰かが動きだすことで周囲の不特定多数に危険であることが伝わり、釣られて逃げる効果を生む。つまり避難の引き金になるのです。】
 東日本大震災で釜石市の小中学生は真っ先に避難し、約3000人のほぼ全員が無事だった。
 大勢の周辺住民の避難も促し、率先避難の成功例として知られる。市の防災・危機管理アドバイザーを務め、率先避難を含めた「避難3原則」を提唱してきた片田敏孝群馬大理工学研究院教授(災害社会工学)は「自分の命を最優先に守り抜くことが、結果として周りの多くの命を救う」と強く思うのです。
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【実は、このような避難行動の現実は釜石市以外にも三陸沿岸では沢山あったことなのです】
 私の、この近所でも、逃げようとしなかった女性の老人がいました。「どうせ、また小さな津波だべえ。」といいます。
 しかし、周りが逃げる姿に・・。「これは、自分も・。」と思って一緒に逃げたのです。人間の心理はそういうものではないでしょうか・・?
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、大勢の人、屋外
【大きなこの教訓のポイントは】
『「率先避難者たれ」』その行動が、「津波がくるぞ~!!」と叫び、逃げる姿や声を聴いて、迷ってる人も「よし。自分も逃げよう」となるのです。
人間の集団心理とはそのようなものなのではないでしょうか?

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