「東日本大震災から6年を越えて」ー
【命日で思ったこと。 復興の一歩は踏み出したばかり。立ち止まってもいい、「一緒に歩んで行こうよ」と、ほらエールが聞こえるではないか。】
~ヤッパリ、海で命を奪われたけど、また海と寄り添って、精一杯の気持ちで生きて行かねば、犠牲者に申し訳がたたない。~
【命日で思ったこと。 復興の一歩は踏み出したばかり。立ち止まってもいい、「一緒に歩んで行こうよ」と、ほらエールが聞こえるではないか。】
~ヤッパリ、海で命を奪われたけど、また海と寄り添って、精一杯の気持ちで生きて行かねば、犠牲者に申し訳がたたない。~
2017年3月11日は、東日本大震災から6年目だった。
被災地各地では、みんなが祈りをささげた日。私もあの時の思った事をノートに書いていました。その時の詩です。そのまま、思った事をかいたのです。良かったら、読んでください。
被災地各地では、みんなが祈りをささげた日。私もあの時の思った事をノートに書いていました。その時の詩です。そのまま、思った事をかいたのです。良かったら、読んでください。


「みんなが祈りをささげた日」ーー
2017年3月11日 8時32分
朝日に照らされた浜で、嵩上げ造成工事や高台移転先の工事の進む港町や前浜で、 そして、転出した人は、海から遠く離れた街角で東の故郷の海に向かって手をあわせました。
6度目の命日。東日本大震災による全国の死者と行方不明者は1万8455人。関連死は3400人で全部で2万1千人を超える数字になったのです。
![画像に含まれている可能性があるもの:海、屋外、水]()

時を止めてしまった人と過ごすはずだった日々を思い、一体、この震災がなけば今はどんな幸せがあったのか?
ついつい、そのことを想像してしまうのです。
その表情や声や仕草、そして手のぬくもり。あせない記憶とともに悲しみがよみがえる人は多くいたはずです。
ついつい、そのことを想像してしまうのです。
その表情や声や仕草、そして手のぬくもり。あせない記憶とともに悲しみがよみがえる人は多くいたはずです。
命だけではない。住み慣れた自宅、仕事、家族との暮らし、進学の機会、古里。
人生を彩る多くのものがあの日、するりとこぼれ落ちた。
あの東日本大震災で、代々に渡ってきて築かれていた、漁業に関係する生業(なりわい)を主体とした生活の積み重ねて来た、財産が一瞬のして奪われ、一瞬にして貧乏のどん底に落ちた被災者たちなのです。
爺さんの代にも、海が不漁で山で「炭焼き」をしたり、「首都圏へ出稼ぎ」や「マグロ船で世界の海に1年航海」に出て、生活を支えた時もあった。
人生を彩る多くのものがあの日、するりとこぼれ落ちた。
あの東日本大震災で、代々に渡ってきて築かれていた、漁業に関係する生業(なりわい)を主体とした生活の積み重ねて来た、財産が一瞬のして奪われ、一瞬にして貧乏のどん底に落ちた被災者たちなのです。
爺さんの代にも、海が不漁で山で「炭焼き」をしたり、「首都圏へ出稼ぎ」や「マグロ船で世界の海に1年航海」に出て、生活を支えた時もあった。
しかし、今は、何もない。
船を再建したが思わぬ大不漁で船を負債返済をどうしようか? 途方に暮れてる漁師は沢山いる。また、地元に仕事はなく、「また、東京に出稼ぎにでもでるか」という声も聞かれるが、年齢的にもう無理も出来ない。
そして、避難所、仮設住宅、一日一日を重ねて訪れた「6年」。子どもたちは成長し、まちの風景は、まるで変わった。

これまでの月日と、これから先と。再生へ向かう道のりはまだまだ長いとつくづく感じた。
復興の一歩は踏み出したばかり。立ち止まってもいい、一緒に行こう。ほらエールが聞こえるではないか。
やっぱり、海で命を奪われたけど、また海と寄り添って、精一杯の気持ちで生きて行かねば、犠牲者に申し訳がたたない。
よし、明日からもまたガンバロウ。少しづつ、少しでも。