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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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【【岩手漁民組合の、一般漁民にも「サケを刺し網漁法」でとらせろ! 27日は裁判所へ「浜の一揆」】 ーその2

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【【岩手漁民組合の、一般漁民にも「サケを刺し網漁法」でとらせろ! 27日は裁判所へ「浜の一揆」】 ーその2

 東日本大震災後に丸裸になった我々漁民。一人一人が非常に将来への「不安」をいだきながら、一人の力では何も出来ないことから、「岩手漁民組合」は出来ました。
 自分が入会したのは、1年後あたりです。もうその頃は不漁が始まっていましたし、「刺し網でサケを捕らせて欲しい」と水産庁や岩手県に対して、請願、陳情を何度も行っていた時期でした。しかし、どちらの行政にもその声は門前払いでした。 そこで、起こしたのが今回の裁判なのです。
少し長分ですが、憲法問題も含まれていてます。どうぞ、最後までお付き合い願います。

▼東日本大震災で丸裸になった、漁民、漁村。ー(田野畑村島越 2011年3月16日)

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、空、屋外、自然
画像に含まれている可能性があるもの:屋外

 
本日27日も口頭弁論のある裁判の「浜の一揆」は、一般の漁民が理不尽であった県行政を相手の起こした裁判です。
「刺し網でサケを捕らせろ!」というものですが、これにより、「民主主義な漁業行政」にしようとする狙いもあります。
 これまで、長年に渡り一部の権益を持っていた「浜のボス的」な連中を排除し「正常な浜の状態にする」という意義があると思っています。
▼裁判提訴した後の「サケ刺し網を実現する会」=主催:岩手県漁民組合
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

これまで、「浜のボス的」な連中は、岩手県漁政と一緒になり好き放題に海を独り占めにしてきました。

 野球でいうなら岩手県漁政はピッチャー、バッター、主審を同じ人間がやり、一部の人だけが得をする「非民主的」な漁政がまかり通って来たのです。しかも、それを県の漁政が後押しをし、地元紙の岩手日報もマスメディアとして、公平な報道はしておらず、県行政よりの報道ばかりしています。
この裁判は全国漁民の将来に大きな意味をもつ裁判となります
何故なら、同じ様な事が全国の至る所にあり、全国漁民も注目してる裁判であるからです。現にその事もあり、今では「岩手県漁民組合」発で「全日本漁民組合」まで出来ています。

【我々、零細漁民の弁護を引き受けて下さった弁護士の澤藤統一郎氏は、岩手県出身の弁護士さんです】
画像に含まれている可能性があるもの:1人東日本大震災の前にも、岩手県山田町の「浜の独裁者を裁く」裁判でも弁護してくださっています。だから、漁業、漁師、漁民などについては精通してる方です。我々、原告の「岩手漁民組合」の正義の強い見方です。
我々にとっては、あの熱意と気迫に感動した場面が何度もあり、とても心強くありがたい弁護士さんです。
 
被告となった岩手県漁政主幹担当部所では弁護士さんの名前を聴いて、「相当焦った」と数人の県議会議員の方から聞きました。
 澤藤統一郎弁護士といえば、ここのブログを訪問してる人の中にはご存知の方も多いかと思います。
 何故なら反安倍自民党でもあり、何度か名前も出てきています。
自由党の山本太郎氏や野党の代議士などは、彼のブログなどから勉強して一般質問しています。プロフィールは文末をご覧ください。

画像に含まれている可能性があるもの:3人、テキスト

「浜の一揆」の趣旨:「澤藤統一郎の憲法日記」ブログから引用しながら 「岩手漁民組合」の原告の趣旨を紹介してます。
1年前の記事になります。

【高札「領内沿岸の漁民においてサケを漁することまかりならぬ」「密漁は厳しく詮議し、禁を犯したる者には入牢6月を申しつくるものなり」】 
                            2016年1月15日
http://article9.jp/wordpress/?cat=27&paged=2
 
 昨日(2016年1月14日)の「浜の一揆訴訟」の第1回口頭弁論には、三陸沿岸に散らばっている原告100人のうち約40人が参加した。法廷の前と後に集会が行われたが、その要求の切実さ、真剣さにはたじろがざるを得ない。岩手県の水産行政は、この人々の真剣さをどれだけ受け止めているだろうか。

【裁判終了後の報告集会ではいくつもの印象的な発言があった】
・「サケがとれるかどうかは死活問題だし、今のままでは後継者が育たない。どうし  て、行政はわれわれの声に耳を傾けてくれないのだろうか。」 
・「昔はわれわれもサケを獲っていた。突然とれなくなったのは平成2年からだ。」
・「いまでも県境を越えた宮城の漁民が目の前で、固定式刺し網でサケを獲っているではないか。どうして岩手だけが定置網に独占させ、漁民が目の前のサケを捕れないのか」
・「大規模に定置網をやっているのは浜の有力者と漁協だ。有力者の定置網漁は論外として、漁協ならよいとはならない。」
・「定置網漁自営を始めたことも、稚魚の放流事業も、漁民全体の利益のためとして始められたはず。それが、漁協存続のための自営定置となり、放流事業となってしまっている。漁民の生活や後継者問題よりも漁協の存続が大事という発想が間違っていると思う。漁民あっての漁協のはずだ。本末転倒している」
・「サケが減少して、ウチの漁協では4億円の赤字を定置網が作った。そのしわ寄せは、手数料や購買事業などでしわ寄せが来ている。1人100万円も超える出資金は漁協をやめても、戻ってこない。」

【私も、ときどきはものを考える。帰りの車内で、これはかなり根の深い問題なのではないかと思い至った。】
 普遍性の高いイデオロギー論争のテーマと言ってよいのではなかろうか。
 岩手県水産行政の一般漁民に対するサケ漁禁止の措置。岩手県側の言い分にまったく理のないはずはない。幕末の南部藩にも、天皇制政府にも、その政策には当然にそれなりの「理」があった。その「理」と、岩手県水産行政の「理」とどう違うのだろうか。
 私は現在の県政の方針を、南部藩政(江戸幕府の岩手県の藩)の御触にたとえてきた。定めし、高札にこう書いてあるのだ。「今般領内沿岸のサケ漁の儀は、藩が格別に特許を与えた者以外には一律に禁止する」「これまで漁民でサケを獲って生計を立てる者があったと聞くが、今後漁民がサケを獲ることまかりならぬ」「密漁は厳しく詮議し、禁を犯したる者の漁船漁具を取り上げ、入牢6月を申しつくるものなり」
これに対する漁民の抵抗だから、「浜の一揆」なのだ。

しかし、当時の藩政も「理」のないお触れを出すはずはない。すべてのお触れにも高札にも、それなりの「理」はあったのだ。まずは「藩の利益=領民全体の利益」という「公益」論の「理」が考えられる。
漁民にサケを獲らせては、貴重なサケ資源が私益にむさぼられることになるのみ。サケは公が管理してこそ、領民全体が潤うことになる。サケ漁獲の利益が直接には漁民に配分されることにはならないが、藩が潤うことはやがて下々にトリクルダウンするのだ。年貢や賦役の軽減にもつながる。これこそ、ご政道の公平というものだ、という「理」である。

天皇制政府も、個人の私益を捨てて公益のために奉仕するよう説いた。その究極が、「命を捨てよ国のため、等しく神と祀られて、御代をぞ安く守るべき」という靖國の精神である。滅私奉公が美徳とされ、「君のため国のため」「お国のため」に個人の私益追求は悪徳とされた。個人にサケを獲らせるのではなく、公がサケ漁を独占することに違和感のない時代であった。

また、現況こそがあるべき秩序だという「理」があろう。「存在するものは合理的である」とは、常に聞かされてきたフレーズだ。現状がこうなっているのは、それなりの合理的な理由と必然性があってのこと。軽々に現状を変えるべきではない。これは、現状の政策の矛盾を見たくない、見ようともしない者の常套句だ。もちろん、現状で利益に与っている者にとっては、その「利」を「理」の形にカムフラージュしているだけのことではあるが。

藩政や明治憲法の時代とは違うという反論は、当然にありうる。一つは、漁協は民主的な漁民の自治組織なのだから漁協の漁獲独占には合理性がある、というもの。この論法、原告たちには鼻先であしらわれて、まったく通じない。よく考えると、この理屈、個人よりも家が大切。社員よりも会社が大事。住民よりも自治体が。国民よりも国家に価値あり。という論法と軌を一にするものではないか。個人の漁を漁協が取り上げ、漁協存続のためのサケ漁独占となっているのが現状なのだ。漁協栄えて漁民亡ぶの本末転倒の図なのである。

また、現状こそが民主的に構成された秩序なのだという「理」もあろう。まずは行政は地方自治制度のもと民意に支えられている。その民主的に選出された知事による行政、しかも民主的な議会によるチェックもなされている。その行政が決めたことである。なんの間違いがあろうか。そういう気分が、地元メデイアの中にもあるように見受けられる。そのような社会だから、漁民が苦労を強いられているに違いない。
(2016年1月15日)
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『澤藤統一郎弁護士のプロフィール』
「自身のブログでの自己紹介から引用」:盛岡市生まれ。1971年東京弁護士会に弁護士登録。1943年盛岡生まれ。1971年弁護士登録。ものごころついたころには、日本国憲法があった。大地と陽光と水と風と日本国憲法によって育った。元日本民主法律家協会事務局長。元日弁連消費者委員長。
「著作」
・『岩手靖国違憲訴訟』新日本出版社(新日本新書)、1992年
・『たのしくわかる日本国憲法』岩崎書店、1996年
・『「日の丸・君が代」を強制してはならない 都教委通達違憲判決の意義』岩波書店(岩波ブックレット)、2006年12月
梓澤和幸、岩上安身、澤藤統一郎著
・『前夜 日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』現代書館、2013年12月
「ブログ」:澤藤統一郎の憲法日記

http://article9.jp/wordpress/

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