【東日本大震災でもそうだったが、このように災害にはやはり思わぬ「想定外」がつきものだと痛感。9人の死亡した方には、ご冥福を祈るのみである。】
台風10号で9人が逃げ遅れて亡くなった日から40日後の説明会。
ようやく実現した機会に遺族からは「誠意が感じられない」と不満の声も上がっているが当然だろう。あまりにも遅い対応だと誰でも感じるのではないだろうか? これまで、遺族によると、個別に謝罪はなかったようだ。あまりにも、遅い謝罪だと感じるのは僕だけではないだろう。
台風10号で9人が逃げ遅れて亡くなった日から40日後の説明会。
ようやく実現した機会に遺族からは「誠意が感じられない」と不満の声も上がっているが当然だろう。あまりにも遅い対応だと誰でも感じるのではないだろうか? これまで、遺族によると、個別に謝罪はなかったようだ。あまりにも、遅い謝罪だと感じるのは僕だけではないだろう。

しかも、「建物を取り壊した後に一周忌までには建設する慰霊碑を建てる」事は、遺族のまえに新聞報道されている。説明が逆のような気がする。
いろいろな不運が重なった災害事故での死亡であるが、これは町にも責任があろう。
やはり、近隣自治体が「避難指示」発令してる時に対応が遅れて岩泉町は「避難準備情報」だけで結局は終わった事は、住民の命を預かる自治体としては、あまりにもズサンと言われても仕方あるまい。
あの日、町長は夕方この現場に来ている。「雨の降りから判断して大丈夫だろう」と思った、と語り「避難準備情報」にとどめたことに、伊達町長は甘かったと自ら反省してる。という談話を出している。
「避難準備情報」とは、以下の2つの意味を持つ。
1,人的被害が発生する災害の可能性がある場合に「災害時要援護者」(身体障害者や老人、子供などのいわゆる災害弱者)を早期に避難させるために、自治体が発令する避難準備情報に基づき、要援護者を避難させることを言う。
2,災害時要援護者ではない人々に対して、避難準備情報を発令することで、避難を具体的に準備してもらうことを言う。
役所から言わせれば、この段階で一人では歩けないような人を避難させる事を促してることにはなるが、それが増水してくる河川のどの程度のときのタイミングだったのか・? 通常の場合、多くの自治体は相当早目に発令する。そして、危険度が増す度に「避難勧告」「避難指示」という名称で住民には情報を流す。
あの日、町長は夕方この現場に来ている。「雨の降りから判断して大丈夫だろう」と思った、と語り「避難準備情報」にとどめたことに、伊達町長は甘かったと自ら反省してる。という談話を出している。
「避難準備情報」とは、以下の2つの意味を持つ。
1,人的被害が発生する災害の可能性がある場合に「災害時要援護者」(身体障害者や老人、子供などのいわゆる災害弱者)を早期に避難させるために、自治体が発令する避難準備情報に基づき、要援護者を避難させることを言う。
2,災害時要援護者ではない人々に対して、避難準備情報を発令することで、避難を具体的に準備してもらうことを言う。
役所から言わせれば、この段階で一人では歩けないような人を避難させる事を促してることにはなるが、それが増水してくる河川のどの程度のときのタイミングだったのか・? 通常の場合、多くの自治体は相当早目に発令する。そして、危険度が増す度に「避難勧告」「避難指示」という名称で住民には情報を流す。
町や施設の医療法人社団「緑川会」を擁護するわけではないが、伊達町長がこのあたりを見た後に天候は急変した。この辺では記録的な1時間に70ミリの暴風雨が降り始めた。その為、小本川の氾濫の前に、かつてない対岸の山から凄い勢いで施設を濁流が襲ったので、既に逃げる事はできなかったのである。



東日本大震災でもそうだったが、このように災害にはやはり思わぬ「想定外」がつきものだと痛感する。
遺族の中にはそれを知ってるためか、不満がある一方で「助けようとしてくれた施設には感謝の気持ちでいっぱいです」と語ってる遺族がいるのはそのためであろう。
9人の死亡した方には、ご冥福を祈るのみである。
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【<台風10号>9人死亡の岩手県岩泉町の医療法人社団「緑川会」の高齢者グループホーム「楽ん楽ん」説明会 遺族「誠意感じぬ」】
河北新報 2016-10-10
http://www.kahoku.co.jp/tohokune…/201610/20161010_33011.html

説明会は楽ん楽んに隣接する介護老人保健施設「ふれんどりー岩泉」であり、約2時間にわたった。犠牲者9人のうち6人の家族ら約15人が参加。楽ん楽んに設けられた献花台で一人一人焼香し、黙とうした。
緑川会によると、説明会では佐藤弘明常務理事(53)らが当日の状況を時系列に沿って報告し、謝罪。遺族への補償や、楽ん楽んの建物を取り壊した後に建設する慰霊碑について説明した。被災当時、楽ん楽んにいた女性所長は入院中のため欠席した。
佐藤理事は「四十九日までには説明会を開きたいと思っていた。一周忌までには慰霊碑を建てたい」と述べた。
亡くなった八重樫チヤさん(95)の長男で埼玉県に住む八重樫信之さん(73)と妻絢子さん(72)は「施設からは今まで何の連絡もなく、謝罪を受けたのは今日が初めて。話もあまりに事務的で驚いた。慰霊碑などの話を持ち出す前に当時の状況をもっと詳しく説明すべきだ。所長から直接話を聞きたい」と話した。他の遺族と共に再度説明会を開くよう求めたという。
兄の千葉繁喜さん(77)を亡くした同町の千葉利光さん(59)は「兄の最期の様子を聞くことができた。助けようとしてくれた施設には感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。
佐藤常務理事は次回の説明会について「検討する」としている。
予定が合わないなどの理由で欠席した犠牲者3人の遺族に対しては、1家族には7日夜に自宅を訪ねて説明した。残る2家族は今後個別に訪問するという。