家の前の瓦礫。前の浜の防潮林の黒松が何本も流れて来ていて、チェンソーで切ると砂や泥が入ってるために、2回も使えば切れなくなり「目立て」ばかりやってはかどらなかった事を思い出します。
若い時からお付き合いのあった、早稲田大学の「椎の森の会」OB,OG、現役学生がGWに家にやってきてくれました。
頼もしい助っ人でしたね~~。
流れた漁具やロープなども拾い集めてくれました。
あの時はほんとにたすけられました。ありがたく、嬉しかったなあ。
彼らの後輩が、またGWには田野畑村やってきます。もう「思惟の森の会」とは僕も30年以上のおつきあとなりました。
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(再掲)【被災地現場の現実~早稲田大学の「思惟の森の会」のボランテイアで家の周りの型付けてもらう。】
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60556024.html
「山と土と樹を好きな漁師」 2011/5/2(月) 午前 7:09
【「早稲田大学~思椎の森の会」 の懐かしいOBも駆けつけてくれて、嬉しい出会い。】
ありがたい助っ人が僕の家に来てくれました。
「早稲田大学~思椎の森の会」 の学生とOBとOGのボランテイアで家の周りを片付けてもらいました。
OBの中には、僕が23歳~29歳まで「思椎の森の会」のセミナーハウスで、共に造林作業をして、夜遅くなで共に語らい、同じ釜の飯をたべて、セミナーハウスから役場に通った事もある親しい仲間です。
震災の事を知って、最初に村に駆けつけてくれたありがたいパワーです。
震災の事を知って、最初に村に駆けつけてくれたありがたいパワーです。
「早稲田大学~思椎の森の会」
公式HP: http://morinokai.webnode.jp/
は昭和36年の三陸フェーン大火の時から出来たサークルです。早稲田大学と田野畑村はもう昭和36年以来のお付き合いあります。
それは「三陸フェーン大火」昭和36年5月29日に発生いした。山火事は、折からの強風にあおられ瞬く間に広がり宮古・下閉伊地区を真っ赤に染めた。宮古・下閉伊地区の火災の中で未曾有の被害をもたらしたものです。陸上自衛隊、消防団員らの懸命な活躍があったのですが、風が強く乾燥した空気であっという間に燃え広がって田野畑の3分の2は山林7210ヘクタールが焼失した。 この火災による死者は12人、負傷者179人、被災者1519人です。
この山林復活のために、早稲田大学の学生がボランティアとして入り、この先「早稲田大学・思惟の森」運動として村との共有林を持っています。今でも、「山の樹の中で造林作業を通して深く思惟することの大切さ」を実践しています。
村有林を思椎の森の会との共有林にしていて、造林、管理などの作業をしています。
森の作業をしながら自然と対峙して、人間哲学を体で学ぶのが大きな狙いです。
このブログの過去の記事。
「懐かしい青春の思い出・・。」
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60338574.html
昨日は、10人がボランテイアで家の周りの型付けに来てくれた。
村の甚大な被害に、ものすごくびっくりしていました。
公式HP: http://morinokai.webnode.jp/
は昭和36年の三陸フェーン大火の時から出来たサークルです。早稲田大学と田野畑村はもう昭和36年以来のお付き合いあります。
それは「三陸フェーン大火」昭和36年5月29日に発生いした。山火事は、折からの強風にあおられ瞬く間に広がり宮古・下閉伊地区を真っ赤に染めた。宮古・下閉伊地区の火災の中で未曾有の被害をもたらしたものです。陸上自衛隊、消防団員らの懸命な活躍があったのですが、風が強く乾燥した空気であっという間に燃え広がって田野畑の3分の2は山林7210ヘクタールが焼失した。 この火災による死者は12人、負傷者179人、被災者1519人です。
この山林復活のために、早稲田大学の学生がボランティアとして入り、この先「早稲田大学・思惟の森」運動として村との共有林を持っています。今でも、「山の樹の中で造林作業を通して深く思惟することの大切さ」を実践しています。
村有林を思椎の森の会との共有林にしていて、造林、管理などの作業をしています。
森の作業をしながら自然と対峙して、人間哲学を体で学ぶのが大きな狙いです。
このブログの過去の記事。
「懐かしい青春の思い出・・。」
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60338574.html
昨日は、10人がボランテイアで家の周りの型付けに来てくれた。
村の甚大な被害に、ものすごくびっくりしていました。
「昔のあの田野畑村はどこに行ったのだろうか・・。」と痛切に感じたようだった。
「明るく見せようとしている」そんな自分が、そこにはいた・・・。
早速、作業の内容を説明したら・・。
モクモクと身体を動かしてくれたが・・。彼らがどういう気持ちで働きながら感じたのか・・?
僕は、「きっと自分と似たような思いがあるのだろうなあ」と想像する事しかできなかった。
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10人も来てくれたので、一人では出来ない大きな仕事を中心にしてもらった。
・船2隻の移動。
・流れて来た防潮林の黒松など運搬。
・流れた漁具の運搬移動。
・それと流れて来た大きなゴミ捨てなど。など・・・。
残った、後の作業は自分だけでも、時間をかければ出来る。
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一服しながら、昼食の時などOBの方々との思い出話に花が咲いた。
「明るく見せようとしている」そんな自分が、そこにはいた・・・。
早速、作業の内容を説明したら・・。
モクモクと身体を動かしてくれたが・・。彼らがどういう気持ちで働きながら感じたのか・・?
僕は、「きっと自分と似たような思いがあるのだろうなあ」と想像する事しかできなかった。
10人も来てくれたので、一人では出来ない大きな仕事を中心にしてもらった。
・船2隻の移動。
・流れて来た防潮林の黒松など運搬。
・流れた漁具の運搬移動。
・それと流れて来た大きなゴミ捨てなど。など・・・。
残った、後の作業は自分だけでも、時間をかければ出来る。
一服しながら、昼食の時などOBの方々との思い出話に花が咲いた。
現役学生が4人に対して、OBは6人。
津波前から知っていたが、OBの方々は自分よりも年齢がだいたい10歳ぐらい若い人で、なんとなく顔は見たことがあるような・・。そんな感じだったが、当時の事を思い出してはなすと、はやり共通の話題となり盛り上がった。
しかし、津波の話になると・・。雰囲気が一変した。
・津波襲来の直後の事。
・亡くなった方々のこと。
・漁師の将来の事。
・村全体での先の見えない復興・・。
今現在として考えると、先がまったくどうなりのかわからない。具体的な訳の分からない大きな不安・・。この先どうなっていくのか、また自分はどうすればいいのか?
まったく検討もつかない。
恐らくまっているのは、大きな決断の連続だと思う。それだけはハッキリしている。
また、彼らなりの田野畑村への思いは沢山あると思う。
青春の1ページをここで過ごしたことがあるのだから・・・・。
さておき、久しぶりの、共同作業で終えた後にみんな言っていたが、
「達成感」を共有できた感じで・・。
それは、それは、とてもうれしかった。
船の移動を終えて、「ヤッター!」の達成感!!
今日あたりもまた、現役学生とOBが村に入ってくるようだ。
述べ30~40人ぐらいの人数になるらしい。村にとってはありがたい助っ人だ。
大きなもの片ずけてもらい、安心したし、とてもありがたかった。
ホントにありがとう♪
早稲田大学の「思惟の森の会」の現役学生とそのOB
の皆さん。感謝、感謝です。