【仮設からようやくでて自宅再建した人。 また残る仮設住宅の仲間応援 残る高齢者の孤独死が課題 】
地区の防災集団移転促進事業に参加して、土地の配分や抽選。
そして、自宅再建。ここまでくるのが簡単そうで難しいのです。
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今後の災害の為に、提言したいのですがこのような補助金はなるべく簡素にして交付ようにして欲しいですね。
被災者の支援なんですから、強くそう思います。
仮設住宅残るの仲間応援 残る高齢者の孤独死が課題でしょう。
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陸前高田住まいの再建を考える会代表・武蔵和敏さんは、海に近い同市気仙町要谷地区にあった自宅を津波で流され、同地区の防災集団移転促進事業に参加した。
「部屋も風呂も広すぎて。4畳半の仮設住宅に慣れていた。短いようで、やっぱり長かったんだね」
制度や補助金の仕組みは分かりにくく、手続きは煩雑だった。震災前、建築関係の仕事をしていた自分がそう思うのだから、一般の人は大変だと感じた。
「自宅再建を諦めた人が陸前高田を去ってしまう」との思いが募り、2012年11月に住民有志で「住まいの再建を考える会」を結成した。建築の専門家を招き、制度を勉強した。
活動が呼び水となり、14年6月には市建設業協会内に住宅再建推進協議会が発足し、運営委員として参画した。設計から融資、業者紹介まで相談に応じる。
地元業者は早い時期に建設計画を立てられるし、共同発注で資材を安く調達できる。「早く、安く建てる」枠組みが実現した。
武蔵さんも協議会を通じ家を建てた。「資材高騰が言われているが、坪単価は震災前より少し高い程度だった。安心できる地元業者に頼め、工期も3カ月で済んだ」と利点を実感した。
新居での生活が始まった。家族4人でテレビを見て大笑いする。仮設住宅と違い、隣近所に気兼ねする必要がなくなった。震災前に戻ったような気になる。
そんな時、ふと仮設住宅に残る住民の顔が浮かぶ。転居前にあいさつすると「良かったね」「頑張って」と笑顔で送り出してくれた。武蔵さんは「実は心苦しかった」と振り返る。
市内では3800棟の建物が津波で全壊した。多くの人が新たな住まいを必要としている。旧市街地に戻る人は、かさ上げが終わるまで数年待たねばならない。高齢者や経済的余裕のない人は、再建の見通しさえ立たないかもしれない。
協議会を活用した住宅再建はまだ5件。武蔵さんは毎月1、2回、各地の仮設住宅に出向き勉強会を続ける。日常を取り戻したからこそ、役立ちたい気持ちが一層強くなった。
「早く安く建てられる制度を使ってほしい。夢や希望を諦めず、本当の住まいを取り戻せるように」と陸前高田住まいの再建を考える会代表・武蔵和敏さんは語っています。
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【<その先へ>暮らしの夢取り戻す/仮設に残る仲間応援】
河北新報 2015年4月13日
◎陸前高田住まいの再建を考える会代表・武蔵和敏さん(陸前高田市)
開け放った窓から潮の香りが吹き込む。「帰ってきたんだ」。頬が緩んだ。
東日本大震災から4年が過ぎた3月15日。陸前高田市などで飲食店を経営する武蔵和敏さん(46)は、仮設住宅から市内に再建した自宅へ引っ越した。
地区の防災集団移転促進事業に参加して、土地の配分や抽選。
そして、自宅再建。ここまでくるのが簡単そうで難しいのです。
建築費の物価はあがっており、普通の1.43倍が坪単価の被災地の相場です。
また、建築業者も不足していてなかなか順番が回って来ないのも現実です。
「住まいの再建を考える会」などのような自助組織をつくり、「設計から融資、業者紹介まで相談に応じるの」はとても素晴らしい活動だと思います。
資金面でまず、苦労するのが制度や補助金の仕組みは分かりにくく、手続きは非常に煩雑なんです。
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僕も手伝ってやったことがありますが、役所とのやりとりで何度も行ったり来たり、集める書類も半端ではありません。それに時間を費やして苦労してる人が非常におおいのです。普通に考えれば、罹災証明があれば良いと思うにですが・・。
陸前高田市の移転は始まったばかりです。市内では3800棟の建物が津波で全壊しました。多くの人が新たな住まいを必要としている。旧市街地に戻る人は、かさ上げが終わるまで数年(3~5年)待たねばならないのが現実です。
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高齢者や経済的余裕のない人は、再建の見通しさえ立たないでいます。この他岩手では、釜石市、宮古市、大船渡市、山田町、大槌町などなど。地位域の復興格差も問題です。このまま仮設では孤独死防止が一番の課題ではないでしょうか。
また、建築業者も不足していてなかなか順番が回って来ないのも現実です。
「住まいの再建を考える会」などのような自助組織をつくり、「設計から融資、業者紹介まで相談に応じるの」はとても素晴らしい活動だと思います。
資金面でまず、苦労するのが制度や補助金の仕組みは分かりにくく、手続きは非常に煩雑なんです。


僕も手伝ってやったことがありますが、役所とのやりとりで何度も行ったり来たり、集める書類も半端ではありません。それに時間を費やして苦労してる人が非常におおいのです。普通に考えれば、罹災証明があれば良いと思うにですが・・。
陸前高田市の移転は始まったばかりです。市内では3800棟の建物が津波で全壊しました。多くの人が新たな住まいを必要としている。旧市街地に戻る人は、かさ上げが終わるまで数年(3~5年)待たねばならないのが現実です。


高齢者や経済的余裕のない人は、再建の見通しさえ立たないでいます。この他岩手では、釜石市、宮古市、大船渡市、山田町、大槌町などなど。地位域の復興格差も問題です。このまま仮設では孤独死防止が一番の課題ではないでしょうか。
今後の災害の為に、提言したいのですがこのような補助金はなるべく簡素にして交付ようにして欲しいですね。
被災者の支援なんですから、強くそう思います。
仮設住宅残るの仲間応援 残る高齢者の孤独死が課題でしょう。
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陸前高田住まいの再建を考える会代表・武蔵和敏さんは、海に近い同市気仙町要谷地区にあった自宅を津波で流され、同地区の防災集団移転促進事業に参加した。
「部屋も風呂も広すぎて。4畳半の仮設住宅に慣れていた。短いようで、やっぱり長かったんだね」
制度や補助金の仕組みは分かりにくく、手続きは煩雑だった。震災前、建築関係の仕事をしていた自分がそう思うのだから、一般の人は大変だと感じた。
「自宅再建を諦めた人が陸前高田を去ってしまう」との思いが募り、2012年11月に住民有志で「住まいの再建を考える会」を結成した。建築の専門家を招き、制度を勉強した。
活動が呼び水となり、14年6月には市建設業協会内に住宅再建推進協議会が発足し、運営委員として参画した。設計から融資、業者紹介まで相談に応じる。
地元業者は早い時期に建設計画を立てられるし、共同発注で資材を安く調達できる。「早く、安く建てる」枠組みが実現した。
武蔵さんも協議会を通じ家を建てた。「資材高騰が言われているが、坪単価は震災前より少し高い程度だった。安心できる地元業者に頼め、工期も3カ月で済んだ」と利点を実感した。
新居での生活が始まった。家族4人でテレビを見て大笑いする。仮設住宅と違い、隣近所に気兼ねする必要がなくなった。震災前に戻ったような気になる。
そんな時、ふと仮設住宅に残る住民の顔が浮かぶ。転居前にあいさつすると「良かったね」「頑張って」と笑顔で送り出してくれた。武蔵さんは「実は心苦しかった」と振り返る。
市内では3800棟の建物が津波で全壊した。多くの人が新たな住まいを必要としている。旧市街地に戻る人は、かさ上げが終わるまで数年待たねばならない。高齢者や経済的余裕のない人は、再建の見通しさえ立たないかもしれない。
協議会を活用した住宅再建はまだ5件。武蔵さんは毎月1、2回、各地の仮設住宅に出向き勉強会を続ける。日常を取り戻したからこそ、役立ちたい気持ちが一層強くなった。
「早く安く建てられる制度を使ってほしい。夢や希望を諦めず、本当の住まいを取り戻せるように」と陸前高田住まいの再建を考える会代表・武蔵和敏さんは語っています。
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【<その先へ>暮らしの夢取り戻す/仮設に残る仲間応援】
河北新報 2015年4月13日
開け放った窓から潮の香りが吹き込む。「帰ってきたんだ」。頬が緩んだ。
東日本大震災から4年が過ぎた3月15日。陸前高田市などで飲食店を経営する武蔵和敏さん(46)は、仮設住宅から市内に再建した自宅へ引っ越した。