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Channel: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」
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菅原文太さんの「遺言」ー 「有機農業、反戦、脱原発、根っこは同じ」

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【菅原文太さんの「遺言」ー
                           「有機農業、反戦、脱原発、根っこは同じ」】


 僕の大ファンだった、菅原文太さんが訃報が伝えられたのは衆院選公示の直前だった。
多くのメディアは「集団的自衛権行使容認」や「原発再稼働」を進める安倍政権に言論コントロールされて、菅原さんが最期まで「失われたら、命は取り戻せない」として反戦や脱原発を訴えてきた事実を報じなかった。
今でも、その文太さんの想いを考えると、悔しい思いでいっぱいになる。
選挙が終わった今になって、毎日新聞の「遺言」12月17日付けのワイド版記事が注目をされ話題を呼んでアクセスが多くなっているのだ。
その内容から、俳優の「菅原文太」さんが、俳優を廃業し何をこの世に残したいことだったのか、その言動から「魂の遺言」か考察してみる。
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▼東日本大震災後、進まぬ復興や原発問題に憤った菅原さんは「役者引退」を宣言し、12年暮れ、身近な仲間と「いのちの党」を結成した。
被災地沿岸に計画されていたコンクリートの防潮堤に対し抵抗して、宮脇昭・横浜国立大名誉教授が提唱する「緑の防潮堤」を応援する講演会を開いたり、ミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係についての勉強会を開いたりした。
菅原さんを「おやじ」と慕う同党メンバー、「夜回り先生」こと作家、水谷修さんは「おやじにとって無農薬有機農業も反戦平和も脱原発も根っこは同じだ。『ひとたび命が失われたら取り戻せない』という思い。
だから『いのちの党』と名付けたんです」。
イメージ 3▼それはまるで、有権者が「自民一強」になった結果を後悔してるかのように感じる。また、同じ東北出身で親交のあった評論家、佐高信さんは「選挙中とはいえまるで言論統制だ」と強調している。
確かにテレビの追悼番組では晩年の政治的な発言に触れず、映画スターとしての功績だけを追うものが目立ったのも事実であり、怒りが湧き上がってくる。


▼無農薬有機農業を広めることと、再び戦争をしないよう声を上げることの二つの「種」を世にまいた。
それを、つづった妻文子さんのコメントを、「肝心の農業や不戦に触れた部分」を削除して報じたテレビ局が殆どだったのである。
▼これに対して、ネット上では「菅原さんの反戦の思いを封殺した」と批判の声が上がった。この人達は、テレビ報道が安倍政権によって支配されていることをよく知ってる人たちなんだと思う。
▼菅原さんが大切にしていた仕事に月刊「本の窓」(小学館)の対談連載がある。2010年に始まり、全部で43回。対談相手の35人はすべて自分で選んだ。俳人の金子兜太さん、元沖縄県知事の大田昌秀さん、著書「タネが危ない」で知られる種苗店経営者、野口勲さん、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん。顔ぶれに菅原さんの大事にした憲法9条や沖縄、脱原発、農業などのテーマが見て取れる。
編集長の岡靖司さんが「出版社の地味で小さなPR誌ですが……」と恐縮しつつ連載を依頼した時、菅原さんは逆に「とても気の利いたいい話だ」と喜んだ。目立つことがすきではなかったうえ、週刊誌のような大きなメディアでは言いたいことが言えないこともあるだろう、と。
▼実際、菅原さんの連載は率直で、時に政権も批判した。
<拳を振り上げ、憲法改正を煽(あお)りたてる人たちは、いざとなったとき戦場には行かない人たちじゃないですか。(略)出て行くのは無辜(むこ)の民衆だけ>(13年6月号)
<安倍(晋三)首相が「日本人は中国で何も悪いことをしていない」というようなことを言ってるんだから。(中略)上がそうだから、若い連中まで「虐殺はなかった」なんて言っている>(13年7月号)
▼連載を書籍「ほとんど人力」(編・菅原文太と免許皆伝の達人たち)にまとめた岡さんは語る。「菅原さんはこの対談を、在野の精神を持ち続けるアウトサイダーたちの語り合う場にしたいと考えていた。
日本社会は『はみ出し者』を排除し『無菌状態』を作ろうとしていると強い危機感を抱いていたから」強く共感するものが自分にもあるし、多くの人が「漠然とでも」感じてることなんではないだろうか。
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▼菅原さんの父親は宮城県の元河北新報記者である。
自身も仙台一高の出版部(新聞部)に所属し、当時、部の後輩には作家の井上ひさしさんがいたのは、あまり知らていないが、社会派である。
▼「菅原さんは『政治の言葉』ではない言葉で政治を語れる、けうな人だった」と佐高さんは言う。11月1日の沖縄県知事選の翁長雄志氏(現知事)の決起集会での応援演説がそうだ。1万数千人の聴衆を前に菅原さんはマイクを握り、力強く言った。
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「映画(「仁義なき戦い」)の最後で、裏切り者に『山守さん、弾はまだ一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと『(対立候補の)仲井真(弘多)さん、弾はまだ一発残っとるがよ』とぶつけてやりたい」と。
しかしあの日、菅原さんの体は既に悲鳴を上げていたのだろう。スタッフに支えられながら壇上に立った。
「アメリカにも良心あつい人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな手を結び合おうよ。今日来ている皆さんもそのことを肝に銘じて実行してください」。
演説をこう締めくくると、最後は明るく「はなはだ短いけど、終わり!!」。
▼スクリーンの中でも現実でも、菅原さんは一本気に信念を貫き、行動を止めなかった。
本当に日本の世を真剣に想い。憂いだ言動だったんだと心から尊敬する。
だから、俳優引退後も数々の自らの行動で「遺言」を残したのでしょう。色々な種を播いた。必ずその種は芽をだして、亡くなった後に花が咲く時が来ると思うにです。 そんな生き方をした人だと思うのです。
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           合掌  心からご冥福を祈ります。 
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【特集ワイド:菅原文太さんの「遺言」 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ】
毎日新聞 2014年12月17日 東京夕刊
「仁義なき戦い」では一本気なアウトロー、「トラック野郎」では人間味あふれる純情者……。そんな銀幕のスターが先月末、81歳で逝った。晩年、菅原文太さんが私たちに伝えようとした「遺言」とは何だったのか。
http://mainichi.jp/shimen/news/20141217dde012200002000c.html

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