【 巨大防潮堤の存在意義が問われる事例は雄勝地区にとどまらないのです。】
これは、宮城県石巻市雄勝地区だけの問題ではなく、岩手でも「巨大防波堤」に関する議論が高まっています。![イメージ 3]()
最大とされる明治29年
まず、311東日本大震災は明治29年(岩手県沖震源)の津波と方向や速度などの違いはあったものの、ほぼ同じくらいの大きさだったように僕は感じています。
田野畑では26mの津波とされています。(参考:吉村昭著 「三陸大津波」 )
しかし、明治29年の津波に対応した防潮堤を作れば、膨大な費用もかかります。
また浜辺の景観や磯の漁場や背後地を大きく使い、海が全く見えないことになります。背後地が狭い集落では、住む場所がなくなってしまう事もありました。この当時は、「高台移転」という考えは政府など行政にもなかったんです。
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これは、宮城県石巻市雄勝地区だけの問題ではなく、岩手でも「巨大防波堤」に関する議論が高まっています。
まずはこの動画を見て欲しいのです。
【被災地における防潮堤の課題】
【被災地における防潮堤の課題】
2013/12/03 に公開
東日本大震災の災害復旧事業として、東北沿岸部に防潮堤建設が進んでいます。
総延長370キロメートルに及ぶ計画の中には、従来の防潮堤の高さを大幅に超え、
5階建てのビルに相当する、高さ14.7mに達するものなど、非常に巨大なものも少なくありません。この防潮堤が本当に必要かどうかの是非を問いたいと思います。
総延長370キロメートルに及ぶ計画の中には、従来の防潮堤の高さを大幅に超え、
5階建てのビルに相当する、高さ14.7mに達するものなど、非常に巨大なものも少なくありません。この防潮堤が本当に必要かどうかの是非を問いたいと思います。
最大とされる明治29年
まず、311東日本大震災は明治29年(岩手県沖震源)の津波と方向や速度などの違いはあったものの、ほぼ同じくらいの大きさだったように僕は感じています。
田野畑では26mの津波とされています。(参考:吉村昭著 「三陸大津波」 )
しかし、明治29年の津波に対応した防潮堤を作れば、膨大な費用もかかります。
また浜辺の景観や磯の漁場や背後地を大きく使い、海が全く見えないことになります。背後地が狭い集落では、住む場所がなくなってしまう事もありました。この当時は、「高台移転」という考えは政府など行政にもなかったんです。
311震災前の防潮堤は1958年(昭和33年)頃に建造され完成していましが、当時、水産庁と環境省、建設省などが3省協議して、「昭和8年」の津波を想定してに決定して、沿岸部には全て8mの防潮堤が建設されました。
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2011年3月1日東日本大震災はマグニチュード9.0というモの凄いエネルギーで大津波を発生させました。東北沿岸部のまちを襲った巨大津波です。
当然ながら、、震災前に既存した海抜8mの高さの防潮堤は簡単に越えています。我が村でも「8mの防潮堤の3倍はあり、瞬間的に崩壊した」という証言する被災者は多くいます。
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そして、昨年当たりから・・。「防潮堤の高さ」について賛否両論巻き起こっています。
政府や行政の言い分は、「その津波から住民を守るために、防潮堤というコンクリートの壁が建設」をするというものです。
当然ながら、、震災前に既存した海抜8mの高さの防潮堤は簡単に越えています。我が村でも「8mの防潮堤の3倍はあり、瞬間的に崩壊した」という証言する被災者は多くいます。
そして、昨年当たりから・・。「防潮堤の高さ」について賛否両論巻き起こっています。
政府や行政の言い分は、「その津波から住民を守るために、防潮堤というコンクリートの壁が建設」をするというものです。
その壁は、大きいもので高さ15m、幅が90mもあります。これでは、漁業などを生業としている漁業者は、好漁場が失わるばかりか、景観を大きく損ねてしまいます。
この前認定された「三陸復興国立公園」の意義もなくなってしまうでしょう。観光として価値も損なわれます。
この前認定された「三陸復興国立公園」の意義もなくなってしまうでしょう。観光として価値も損なわれます。
「津波田老」で有名な旧田老町は
津波対策として、世界最大規模の総延長2433m、海抜10mに及ぶ巨大防潮堤が2重にあり、「万里の長城」とも呼ばれ、世界から視察団なのが訪れていた町でした。
しかし、東北地方太平洋沖地震の津波はそれを簡単に破壊し、町はほぼ全滅状態になったのです。
この防潮堤は1960年チリ地震の津波に対しては犠牲者を出すことなく機能しており、犠牲者の中には少なからず、「防潮堤に対する過信のために逃げずにいて」犠牲になった人も沢山います。
また、車で逃げる際に海が見えずに、そのまま車ごと流され人も多くいます。防潮堤の前で海が見えた人は、車から降りて山に登りギリギリで助かった人の数は多くいます。
こうした、事例を政府や行政はシッカリと検証したのでしょうか・・?
こうした、事例を政府や行政はシッカリと検証したのでしょうか・・?
海が見えなくなるという事は生死に関わる重要なことです。
僕は、今回建設されようとしてる「巨大防潮堤」におおきな矛盾を感じています。
僕は、今回建設されようとしてる「巨大防潮堤」におおきな矛盾を感じています。
何故なら、津波襲来地域には人が住まないからです。というか、住めないように国が決めたからです。
だから、高台移転するということです。
そこに、こんな巨費を投じて「費用対効果」から考えても、税金の無駄使いとしか思えないのです。
だから、高台移転するということです。
そこに、こんな巨費を投じて「費用対効果」から考えても、税金の無駄使いとしか思えないのです。
いま計画されている防潮堤は、100年に一度起こるかもしれない津波の高さを想定していると「説明をうけました」
つまり、3万6500日に一回あるかどうかの確率に備えようとする「非日常の論理」で考えられています。
一方で、日々の暮らしをどうするかというまちづくりは、残り99年と364日をいかに豊かに生きるかという「日常の論理」で考えなければなりません。
つまり、3万6500日に一回あるかどうかの確率に備えようとする「非日常の論理」で考えられています。
一方で、日々の暮らしをどうするかというまちづくりは、残り99年と364日をいかに豊かに生きるかという「日常の論理」で考えなければなりません。
この防潮堤の提案は、震災の翌年の2月におこなわれました。
被災者はまだ、心が混乱してる頃です。つまり「津波の恐ろしさが、目に焼き付いていた真っ最中の頃」と言ってもいいでしょうし、自分がこれからどうなるのか・・。不安でいた頃です。
その時に、政府や行政が復興計画づくりを急ぐあまり、「非日常の論理」だけで一律に考えた結果として、こうしたマンモス防潮堤の提案説明がなされたのです。
住民説明会ではの意見を聞く場もありましたが、専門家が示した安全な高さを、津波に襲われたばかりの専門知識もない住民がそのまま受け入れた感じです。
あの場で、計画に異論を唱える雰囲気はなく、他に選択肢もない。しかも、国がお金を出してくれ、県がつくってれるので、当面、自治体の負担も発生しません。
被災者はまだ、心が混乱してる頃です。つまり「津波の恐ろしさが、目に焼き付いていた真っ最中の頃」と言ってもいいでしょうし、自分がこれからどうなるのか・・。不安でいた頃です。
その時に、政府や行政が復興計画づくりを急ぐあまり、「非日常の論理」だけで一律に考えた結果として、こうしたマンモス防潮堤の提案説明がなされたのです。
住民説明会ではの意見を聞く場もありましたが、専門家が示した安全な高さを、津波に襲われたばかりの専門知識もない住民がそのまま受け入れた感じです。
あの場で、計画に異論を唱える雰囲気はなく、他に選択肢もない。しかも、国がお金を出してくれ、県がつくってれるので、当面、自治体の負担も発生しません。
こうして、「巨大マンモス防潮堤」の案が決定されていったように感じます。
しかし、時間の経過と共に、「非日常の論理」と「日常の論理」の間に大きな隔たりがあることに気づき始めて来たのです。
今、それが鋭く対立してきています。
一生の中で一度あるかないかの津波から生命財産を守るためのマンモス防潮堤ができると、水門は出来るとは思いますが・・。例えば、漁師は五階建てのビルの高さを毎回乗り越えて漁港に出なければならなくなり、日常生活上の利便性が奪われます。磯の漁場も幅が90mもある巨大防潮堤で消滅します。
今、それが鋭く対立してきています。
一生の中で一度あるかないかの津波から生命財産を守るためのマンモス防潮堤ができると、水門は出来るとは思いますが・・。例えば、漁師は五階建てのビルの高さを毎回乗り越えて漁港に出なければならなくなり、日常生活上の利便性が奪われます。磯の漁場も幅が90mもある巨大防潮堤で消滅します。
観光資源としての三陸の景観など、「三陸復興国立公園」の意義もなくなってしまうのです。
観光を生業としてる人の仕事も奪う事になります。
海が見える景観が奪われます。豊かな水産物を生み出す海の自然環境も奪われます。
海が見える景観が奪われます。豊かな水産物を生み出す海の自然環境も奪われます。
そして、高齢化・過疎化が加速した小さな市町村に、維持改修費の負担がやがて重くのしかかってくるので、将来的な財政の自由度(子どもたちの未来)も奪われます。
つまり、このままでは、巨大防潮堤に、住民の日常生活が踏みつぶされてしまうことになってしまう事に被災者が今、気が付き始めたのです。
つまり、このままでは、巨大防潮堤に、住民の日常生活が踏みつぶされてしまうことになってしまう事に被災者が今、気が付き始めたのです。
では、一体、誰がこのような住民の暮らしを脅かすマンモス防潮堤を生み出そうとしているのでしょうか。ひとりは、行政です。被災自治体職員は震災直後、住民から人殺し呼ばれされることもありました。住民の生命財産を守る責任が自分たちにあると考えれば、マンモス防潮堤は彼らにとっての正義となります。防災は住民に任せられない、住民の命を守るのは自分たちだという考えがあります。
もうひとりは、住民です。自分たちの生命財産を守ることを行政に委ね切っている人が実におおいのです。「防潮堤をつくってもらうことは住民にとってはありがたいことだと考え、未だに行政依存型防災から抜ける出ることができません。
建設資金にあてられる8000億円は国民の税金です。
なのに、ほとんどの国民はマンモス防潮堤は遠い場所での話だと無関心を決め込んでいます。
都市直下型地震や東南海トラフ地震津波のことなど、もう忘れています。311の津波災害など「対岸の火」であり、我々とは関係ない事だと、思ってる国民が非常に多いと思います。関心がないのです。
なのに、ほとんどの国民はマンモス防潮堤は遠い場所での話だと無関心を決め込んでいます。
都市直下型地震や東南海トラフ地震津波のことなど、もう忘れています。311の津波災害など「対岸の火」であり、我々とは関係ない事だと、思ってる国民が非常に多いと思います。関心がないのです。
どうすればよいか。これから日本は人口減少で縮んでいきます。
行政の人も金もなくなっていく中、住民の生命財産が失われるリスクを行政だけが一方的に負担し続けるのは、限界があります。
住民も自発的に避難訓練をするなど、そのリスクの一端を背負い、備えていくことが求められます。
みんなでリスクを分かち合うことで、今より低い防潮堤は可能となります。
結果、地域コミュニティも強化され、利便性や景観などの日常生活も守ることができます。
そして、その予算で被災者の困窮した生活再建にお金を回すことができるのです。
そのことに気づいた住民たちが、声をあげています。
下の記事がそれを取り上げています。
マンモス防潮堤という「非日常の論理」と、住民の暮らしという「日常の論理」のバランスをいかにはかっていくのか。そのためには、住民と被災住民と行政の間で、もっと議論が必要になります。
この議論こそが「合意形成」なんですが・・。
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ホントは出てくる結論は、地域の特性に応じた多様なものになって当然なのです。
被災住民の日常生活と当事者意識、まちの独自性と持続性も守られるはずなんです。
下の記事がそれを取り上げています。
マンモス防潮堤という「非日常の論理」と、住民の暮らしという「日常の論理」のバランスをいかにはかっていくのか。そのためには、住民と被災住民と行政の間で、もっと議論が必要になります。
この議論こそが「合意形成」なんですが・・。
ホントは出てくる結論は、地域の特性に応じた多様なものになって当然なのです。
被災住民の日常生活と当事者意識、まちの独自性と持続性も守られるはずなんです。
しかし、残念ながら、これまでの事業を見てると、こうした住民の声は聞き入られていませんでした。
防潮堤の要不要の議論が沸騰すれば、宅地造成を含む復興事業自体が遅れる可能性があった。雄勝町の職員は「早期の住宅再建のために住民を説得した」と振り返っています。
ある種の「脅迫」にも受けとれます。
僕も何度か、衆参両院に請願、陳情しましたが・・。
「検討します」で聞き入れない政府や省庁の官僚の石頭です。
だから、この声に、行政も、国民ももっと耳を傾けるべきです。
被災住民も、行政も、国民も、本来、目指す山の頂は同じはずです。被災者が安心できるまちづくりを一日も早く進めたい。そして、このマンモス防潮堤と同じような問題は、各地に潜んでいます。
防潮堤の要不要の議論が沸騰すれば、宅地造成を含む復興事業自体が遅れる可能性があった。雄勝町の職員は「早期の住宅再建のために住民を説得した」と振り返っています。
ある種の「脅迫」にも受けとれます。
僕も何度か、衆参両院に請願、陳情しましたが・・。
「検討します」で聞き入れない政府や省庁の官僚の石頭です。
だから、この声に、行政も、国民ももっと耳を傾けるべきです。
被災住民も、行政も、国民も、本来、目指す山の頂は同じはずです。被災者が安心できるまちづくりを一日も早く進めたい。そして、このマンモス防潮堤と同じような問題は、各地に潜んでいます。
日本がこれからどういう国づくり、地域づくりをしていくのかが問われています。
防潮堤ありきとも言える復興計画には、ひずみも生じている。
こうして、書いていても虚しくなりますが、「一体何のために建てるのか」
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【かすむ復興/まちづくり/巨大防潮堤の足元(1)見えぬ目的 募る不信】
河北新報 2014年7月14日
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<役に立たない>
「一体何のために建てるのか」
石巻市雄勝地区の自営業阿部晃成さん(25)は、宮城県が進める防潮堤計画への不信感を隠さない。
住民団体「雄勝町の雄勝地区を考える会」の事務局を務めている。
住民団体「雄勝町の雄勝地区を考える会」の事務局を務めている。
雄勝湾奥部は、海岸から80メートルほど後方への防災集団移転を予定する。新たに宅地を整備する土地は海抜20メートル以上の高台。県が予定する海抜9.7メートルの防潮堤は、民家を守る点では役に立たない。
海岸と高台との間に広がる空間は、市が公共用地として活用する計画になっている。防潮堤とほぼ同じ高さまでかさ上げし、商業施設や艇庫を配置する。
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「防災上の観点から、公共スペースの海側にある盛土斜面をコンクリートで守る必要がある」。
宮城県河川課は防潮堤の意義を強調するものの、阿部さんは納得できない。「整備費が無駄になるだけではないか」
<住宅再建急ぐ>
そもそも公共スペースのかさ上げは、防潮堤で遮られる海の眺望を確保するのが狙いだった。地元自治体関係者によると、防潮堤計画が持ち上がらなければ、平地のまま公園などに転用する選択肢もあったという。
では、なぜ県計画に異論を唱えなかったのか。「市としてはのむしかなかったんだ」。
経緯を知る職員の一人が解説してくれた。
防潮堤の要不要の議論が沸騰すれば、宅地造成を含む復興事業自体が遅れる可能性があった。この職員は「早期の住宅再建のために住民を説得した」と振り返る。
防潮堤ありきとも言える復興計画には、ひずみも生じている。
公共スペースにできる商業施設へ入居を検討する地元業者は、皆無に近い。青果店を営む佐藤勝則さん(72)は「顧客は高台に移る。宅地から離れていては商売にならない」と突き放す。
<無人島に計画>
防潮堤の存在意義が問われる事例は雄勝地区にとどまらない。
宮城県は、塩釜市の浦戸諸島にある四つの無人島(鷺島、大森島、馬ノ背島、漆島)で防潮堤の復旧計画を立てた。20億円を投じ、地盤沈下や亀裂の補修に取り組む腹づもりだった。
当初の目的は「農業振興」。しかし、4島の農地が東日本大震災前から耕作放棄されてきたことが問題視されると、あっさりと「土砂流出防止」に切り替えた。
現地査定せず、営農方針の確認すらしていなかったのが要因だった。県農村整備課の担当者は「当時は海中がれきが多く、島に近づけない状態だった」と弁明する。
結果的に、補修は最低限のレベルにとどまる見通しになった。「無駄な予算は使えない」と農林水産省防災課。後付けとも言える事業計画に、国はつれなかった。
東日本大震災で被災した東北の太平洋岸で総延長400キロ、総額8000億円の防潮堤計画が着々と進む。津波から住民の命と財産を守るはずの「防壁」の建設に、各地で反発の声が上がっている。復興まちづくりの前提ともなる巨大プロジェクトの足元で何が起きているのか。現状を追った。(震災取材班)=4回続き
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140714_13021.html
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140714_13021.html