「東日本大震災の教訓は活かされているか」ー
【備えの死角 「防潮堤」/「万里の長城」油断招く 岩手県元田老町 いま、建設されている防潮堤は誰を守るためのモノなのか?】
~ その全額が国の災害復旧事業予算から拠出される。被災3県の担当者は、「いくら建設コストが膨らんでも、国の予算だから大丈夫」というが、国の財政は破産寸前なのだ! ゼネコンの為の復興となっている。やがて、その金は自民党に還元されるのか? ~
その威容は「万里の長城」と呼ばれ、全国の津波防災の象徴だった。岩手県宮古市田老地区(旧田老町)にあった高さ10メートル、総延長2433メートルのX形の二重の防潮堤があった。
震災前は旧田老町は、「津波防災の町宣言」し、ほかの市町村は8mの高さの防波堤だったが、それを、10年かかり、予算を確保して、2m高くし、もう一つの防潮堤を巨額の費用で建設した。山への避難路も整備し、外の地区から「津波太郎」と言われて、視察が相次いでおこなわれた。そんな町であった。
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【備えの死角 「防潮堤」/「万里の長城」油断招く 岩手県元田老町 いま、建設されている防潮堤は誰を守るためのモノなのか?】
~ その全額が国の災害復旧事業予算から拠出される。被災3県の担当者は、「いくら建設コストが膨らんでも、国の予算だから大丈夫」というが、国の財政は破産寸前なのだ! ゼネコンの為の復興となっている。やがて、その金は自民党に還元されるのか? ~
その威容は「万里の長城」と呼ばれ、全国の津波防災の象徴だった。岩手県宮古市田老地区(旧田老町)にあった高さ10メートル、総延長2433メートルのX形の二重の防潮堤があった。
震災前は旧田老町は、「津波防災の町宣言」し、ほかの市町村は8mの高さの防波堤だったが、それを、10年かかり、予算を確保して、2m高くし、もう一つの防潮堤を巨額の費用で建設した。山への避難路も整備し、外の地区から「津波太郎」と言われて、視察が相次いでおこなわれた。そんな町であった。


【だが、東日本大震災では皮肉にも、強固な壁の存在が油断を招き、悲劇を産んだ。】

最初は、気象庁が3、4メートルの津波とラジオが津波の予想高を伝えた。戸塚力さん(67)の自宅は田老地区でも海から離れている。海側、陸側の2重の防潮堤がそびえる。
大きな揺れの本震から30分。自宅から200メートル先の高台にある神社を目指して歩き出した。 600メートル離れた陸側防潮堤の辺りに漂う黒いもやもやが目に留まった。
「火事でねえか?」と最初は思っ

津波は速かった。神社に向かう階段に足を踏み入れた時、背後を壊れた家が流れていった。妻は、非難行動をとらずに帰らぬ人になった。

【「津波太郎」。たびたび津波に遭った田老地区の異名だ。1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸津波で壊滅的な被害を受けた】
昭和三陸津波の後、当時の田老村は防潮堤を築いて、現地再興する道を選んだ。57年度に陸側が完成。78年度には、補助なしで自主財源だけで海側も整備された。
20年ほど前に亡くなった戸塚さんの母は、昭和三陸津波で母を失い、自分も流された。「地震が起きたら津波が来る。すぐ逃げろ」と繰り返した。戸塚さんはあの日、この大きな防潮堤で安全を疑わず、母の言葉を生かせなかったのだ。
昭和三陸津波の後、当時の田老村は防潮堤を築いて、現地再興する道を選んだ。57年度に陸側が完成。78年度には、補助なしで自主財源だけで海側も整備された。
20年ほど前に亡くなった戸塚さんの母は、昭和三陸津波で母を失い、自分も流された。「地震が起きたら津波が来る。すぐ逃げろ」と繰り返した。戸塚さんはあの日、この大きな防潮堤で安全を疑わず、母の言葉を生かせなかったのだ。
【地元小中学校の校歌に歌われる防潮堤。海外から「津波防災先進地」として視察も訪れ、住民の誇りだった】
「世界一、日本一だの言われた堤防を越えるようなものは、まさか 来ねえべ」と武蔵恵子さん(71)は信じ切っていた。
本震の後、自宅の外に出ると、足早に避難する知人を見かけた。「あなた逃げるの? おらまだ逃げない」。家に戻って、常備薬を探したりしていた。だが、突然、開いていた玄関の先に津波が見えた。水が家に入ってくる。
高台側の2階の部屋に移動して、助けを求めた。近くに居合わせた人たちに窓から救出された。
漁師の山本源一郎さん(61)は、防潮堤と並行する下の国道45号を軽トラックで自宅に向かった。ラジオは津波の予想高を告げていたが、通行規制もなく、車は流れていた。不安は感じなかった。
「ドーンという津波が海岸の岩にぶつかる音」がしたと思ったら突然、衝撃音を伴って泥水が防潮堤を乗り越え、国道に流れ込んだ。強烈なあおり風を受け、道路沿いの菓子店に激突。水没する車の窓から脱出した。
「防潮堤の向こう側で波がどこまで来ているか分からなかった」。これは、防波堤によって海が全く見えない事も大きく影響している。 だから、前後を走っていた車は消え、後に遺体は車の中で発見されている。これは、田老にかぎらず、田野畑村でも、野田村などでも、海が見えずに突然来た津波に流されているのだ。 人は海の津波を見て「ここでは死ぬ」と思い、非難行動をするのだ。
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震災後、田老地区の津波の高さは平均18メートルに達したことが東北大の調査で分かった。同地区を含む旧田老町では、宮古市で最多の181人が犠牲になった。
「世界一、日本一だの言われた堤防を越えるようなものは、まさか 来ねえべ」と武蔵恵子さん(71)は信じ切っていた。
本震の後、自宅の外に出ると、足早に避難する知人を見かけた。「あなた逃げるの? おらまだ逃げない」。家に戻って、常備薬を探したりしていた。だが、突然、開いていた玄関の先に津波が見えた。水が家に入ってくる。
高台側の2階の部屋に移動して、助けを求めた。近くに居合わせた人たちに窓から救出された。
漁師の山本源一郎さん(61)は、防潮堤と並行する下の国道45号を軽トラックで自宅に向かった。ラジオは津波の予想高を告げていたが、通行規制もなく、車は流れていた。不安は感じなかった。
「ドーンという津波が海岸の岩にぶつかる音」がしたと思ったら突然、衝撃音を伴って泥水が防潮堤を乗り越え、国道に流れ込んだ。強烈なあおり風を受け、道路沿いの菓子店に激突。水没する車の窓から脱出した。
「防潮堤の向こう側で波がどこまで来ているか分からなかった」。これは、防波堤によって海が全く見えない事も大きく影響している。 だから、前後を走っていた車は消え、後に遺体は車の中で発見されている。これは、田老にかぎらず、田野畑村でも、野田村などでも、海が見えずに突然来た津波に流されているのだ。 人は海の津波を見て「ここでは死ぬ」と思い、非難行動をするのだ。

震災後、田老地区の津波の高さは平均18メートルに達したことが東北大の調査で分かった。同地区を含む旧田老町では、宮古市で最多の181人が犠牲になった。
【「巨大な防波堤で安全」という認識は、一人あるきして、皮肉にも、住民の「避難行動」を妨た 自然の猛威は分からない】
岩手県沿岸部の住民の「防潮堤依存」をうかがわせる調査結果がある。三陸沿岸に大津波警報が出た10年2月のチリ大地震津波を受け、岩手県と岩手大が、避難指示・勧告の発令対象世帯に実施したアンケートだ。
「避難しなくて良いと思った」と答えた人の35%が、防潮堤や防波堤などの防災設備の存在を一番の理由に挙げている。
岩手県沿岸部の住民の「防潮堤依存」をうかがわせる調査結果がある。三陸沿岸に大津波警報が出た10年2月のチリ大地震津波を受け、岩手県と岩手大が、避難指示・勧告の発令対象世帯に実施したアンケートだ。
「避難しなくて良いと思った」と答えた人の35%が、防潮堤や防波堤などの防災設備の存在を一番の理由に挙げている。
【東日本大震災後、国の防災会議は、震災発生からすぐに「15m程度の防潮堤建設を決定。 その後、国土交通省が「津波襲来危険地域に指定。家は建てられない」】
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国の「防災会議」は被災各県は防潮堤を被災前よりも高くし、明治三陸大津波、昭和三陸津波クラスの津波に備える計画し、予算もついて工事も進行してる。
田老海岸(岩手県宮古市)と本吉海岸(宮城県気仙沼市)の14.7メートル、唐丹湾(岩手県釜石市)の14.5メートルなど10メートルを超える防潮堤も珍しくない。
田老海岸(岩手県宮古市)と本吉海岸(宮城県気仙沼市)の14.7メートル、唐丹湾(岩手県釜石市)の14.5メートルなど10メートルを超える防潮堤も珍しくない。
【一方的な国の決め方に疑問だ。なぜ、津波体験した人の貴重な教訓も聞かずに、津波防災を決定するのか。各省庁の縦割り行政の遺構がずっと残っていくのだ】
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この時に、なぜ、こうした教訓を聞かずに決定したのか? 「防潮堤への過信」と「防潮堤で海が見えないのは危険」だという。地元住民の声は聴いていない。


この時に、なぜ、こうした教訓を聞かずに決定したのか? 「防潮堤への過信」と「防潮堤で海が見えないのは危険」だという。地元住民の声は聴いていない。

なぜ、15mなのか? 東日本大震災では、20mを超える津波が来たところもあるのに、半端な高さだ。
しかも背後の土地には「津波襲来地域指定」=(国土交通省は決定)されて、人が住めない。
高台移転で従来の土地には、この規制によって家を建てられないのだ。 「この中途半端な高さの巨大防潮堤はいったい、誰を守るためのものなのだろうか?」、「税金の無駄遣いと教訓が活かされていない」といつも感じながら見ている。
地元の声を聞かないとこのような事が起きる。復興庁のこうした調整など無かったと聴く。チグハグの状態なのだ。
しかも、あの壁のような防潮堤は津波のもの凄い力では倒れるし、津波周期は80~90年に一度だ。コンクリートは40年の寿命しかない。ボロボロなって行く。
被災地を見れば、誰でも「おかしい」と思うはずである。
【震災のような最大クラスの津波は、住民避難を軸に多重防御で対応するところもある これが、東日本大震災を体験した人の共通認識ではないだろうか?】
岩手県大槌町赤浜地区は高さ6.4メートルにとどめた。
国と県は14.5メートルを示したが、住民自ら現状維持を強く団体で求めた。
「高台移転を基本に住宅再建するため、高い防潮堤は必要ないとの考えだ」 これが、普通の考えだろうと私も同感する。
住民組織「赤浜の復興を考える会」会長の川口博美さん(64)は「人工構造物は、自然の力には勝てない。過信はいけない。海が見えないのが一番危険」と力を込める。
岩手県大槌町赤浜地区は高さ6.4メートルにとどめた。
国と県は14.5メートルを示したが、住民自ら現状維持を強く団体で求めた。
「高台移転を基本に住宅再建するため、高い防潮堤は必要ないとの考えだ」 これが、普通の考えだろうと私も同感する。
住民組織「赤浜の復興を考える会」会長の川口博美さん(64)は「人工構造物は、自然の力には勝てない。過信はいけない。海が見えないのが一番危険」と力を込める。
住民が低い防潮堤でいいと判断したなら、代わりに自分たちで身を守る方法を取ればいいだけのことだ。
「堤防の高さを住民の意思で決めることで、安全を身近な問題として考えられる」と思うからだ。
とにかく。何度も言っているが、
「大きな地震が来て、津波警報がでたら、予め決めてい置いた、1センチでも高い所に逃げる」これが、津波防災の基本の基本である。