昨日Facebookに投稿した記事から・・。
東日本大震災の被災地は5度目の年の瀬を迎えました。なかなか復興は進まず、1万8千人の街がゴッソリなくなった大槌町は、あと3~4年以上、仮設住宅から出られない人がいます。
震災発生から9年ということになります。今年の2月に県内の仮設住宅を周り取材したことがあります。どこに行ってもご高齢の方ばかりです。
同じような事が聞かれます。
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応急仮設住宅にはもう今では、高齢者しか残っていません。
【岩手県・大槌町「がんばっぺ」前を向く 仮設で生活86歳の女性】
岩手日報 2015年12月31日
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/news.cgi?hi=20151231_1
東日本大震災の被災地は5度目の年の瀬を迎えた。住宅再建の遅れから、当初は入居2年のはずだった狭く不自由なプレハブ仮設住宅に今なお岩手県内で6万人以上が暮らす。それでも「ここまで来たらがんばっぺし」と被災者たちは必死に前を向く。年末、ある仮設を訪ねた。
「ここらへんでは、雑煮をくるみのたれで食べるんだよ」。29日朝、大槌町。佐々木テルさん(86)はスーパーでくるみのたれを手に取った。多くの人が買い求め、たちまち品切れに。「震災前は自分でつぶしていたけど、今は狭くてとても無理だ。みんなもそうなんだろうね」
台所、浴室、トイレのほかは4畳半一間だけ。佐々木さんはこの部屋で、今年も1人で新年を迎える。「片付ける場所もないし大掃除しようって気にもならねえ。神棚もないから罰が当たるな」。旧町役場に近く、便利だった自宅は津波で全壊、何もかも流された。車がないので震災後は初詣にも行けない。
30日、数年ぶりに自宅があった場所を訪れた。震災前から1人暮らしだった佐々木さん。知り合いがいつも集まってきてくれた自宅の場所は見つけたが、辺りは更地で「近所はさっぱり分からねえ」と寂しさがよぎる。でも災害公営住宅の建築予定地を見て、自らを鼓舞するように言った。「がんばるしかねえべ」
【「東日本大震災」の被災地は5度目の年の瀬 共通の声「それでもここまで来たらがんばっぺし。だけど、仮説住宅では死にたくない」】
東日本大震災の被災地は5度目の年の瀬を迎えました。なかなか復興は進まず、1万8千人の街がゴッソリなくなった大槌町は、あと3~4年以上、仮設住宅から出られない人がいます。
震災発生から9年ということになります。今年の2月に県内の仮設住宅を周り取材したことがあります。どこに行ってもご高齢の方ばかりです。
同じような事が聞かれます。


いつ体調を壊して無くなるかも知れないとおもってるからです。全身から絞りだすように出す声をホントに聴いて欲しいと願います。
「それでもここまで来たらがんばっぺし。だけど、仮説住宅では死にたくない」
「それでもここまで来たらがんばっぺし。だけど、仮説住宅では死にたくない」

ホントに厳しいところをくぐって来たかたがたですが、60歳を超えた方々の切実で共通も声です。
「仮設だけでは死にたくない」
というのは切実な願いなんです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【岩手県・大槌町「がんばっぺ」前を向く 仮設で生活86歳の女性】
岩手日報 2015年12月31日
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/news.cgi?hi=20151231_1

「ここらへんでは、雑煮をくるみのたれで食べるんだよ」。29日朝、大槌町。佐々木テルさん(86)はスーパーでくるみのたれを手に取った。多くの人が買い求め、たちまち品切れに。「震災前は自分でつぶしていたけど、今は狭くてとても無理だ。みんなもそうなんだろうね」
台所、浴室、トイレのほかは4畳半一間だけ。佐々木さんはこの部屋で、今年も1人で新年を迎える。「片付ける場所もないし大掃除しようって気にもならねえ。神棚もないから罰が当たるな」。旧町役場に近く、便利だった自宅は津波で全壊、何もかも流された。車がないので震災後は初詣にも行けない。
30日、数年ぶりに自宅があった場所を訪れた。震災前から1人暮らしだった佐々木さん。知り合いがいつも集まってきてくれた自宅の場所は見つけたが、辺りは更地で「近所はさっぱり分からねえ」と寂しさがよぎる。でも災害公営住宅の建築予定地を見て、自らを鼓舞するように言った。「がんばるしかねえべ」